古事記・日本書紀のなかの史実 (28)~神生み⑬ 禊祓(みそぎばらい)と小戸大神宮
前回は、イザナギが禊祓いをした場所として、志賀島が候補として挙げられるという話でした。
候補地は他にもあります。
古事記本文は、
”竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)”
です。
この場所についてクライン氏が、
”この清めは、九州の北部の海峡でなされた、と推測される。”
と指摘していることは、前回紹介しました。
あらためて位置について、みてみましょう。
まず「筑紫」は北部九州です。九州島全体とする説もありますが、ここでは横においておきます。
次に「日向」です。
日向は、このあとの天孫降臨の段で、出てきます。
”皇孫を筑紫の日向の高千穂のくしふる峯にお届けした。”(日本書記の一書(第一))
一般的には、日向国(宮崎県)とされますが、北部九州にもあるのです。
福岡市西部、糸島市境に「日向峠」があり、この地域がかつて「日向」とよばれたことをうかがわせます。
次に「橘」です。
古田武彦氏は、
”傍線部(高千穂の)が地勢を示す地形詞であり、したがって「橘の」も地形詞である。”
としています。
そして、
”橘は「太刀鼻(たちはな)」とも書かれる岬状の突出部を示す。”
”固有名詞は「小戸」となる。”
としています。
こうした推測から、
”博多湾岸の姪の浜海岸に「小戸神社」があるので、ここが小戸である。”
としています。
最後の「阿波壱原」ですが、
”「アハ」とは神聖なであり、「アハキ」とは「神聖な木(または城)を示す。
「阿波岐原」は日本書記では「檍原」と記載されており、
小戸大神宮の祭神は、
天照皇大神(アマテラスオオミカミ)。
手力雄命(タヂカラオノミコト)。
𣑥幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)
です。
神社の由緒です。
”海中から引き揚げられた銅矛2本が神宝とされ,享保10年(1725年)福岡藩六代藩主黒田継高が社殿を建立しました。
小戸大神宮は神代の昔,伊邪那岐命が御禊祓の神事を行われた尊い地であり,皇祖天照皇大神を始め住吉三神,他神々が御降誕され,神功皇后の御出師及び凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。全国の神社で奏上されております祓詞の中に小戸の地名が入っております。”
たしかにイザナギが禊ぎを行った場所とされており、また、神功皇后の朝鮮半島出兵の港であったなど、由緒ある場所と伝えられています。
しかしながら、もしここが実際に禊ぎが行われた場所であるなら、古代より社殿を建立して祀っていてもよさそうなものですが、社殿建立は18世紀に入ってからと、かなり後代になってからです。しかも銅矛2本が引き上げられたことがきっかけです。
また祭神に、主要神である住吉三神、綿津見三神などが、見当たりません。
もちろんこの地に、古代からの伝承があったのかもしれませんが、やや疑問は残ります。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
候補地は他にもあります。
古事記本文は、
”竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)”
です。
この場所についてクライン氏が、
”この清めは、九州の北部の海峡でなされた、と推測される。”
と指摘していることは、前回紹介しました。
あらためて位置について、みてみましょう。
まず「筑紫」は北部九州です。九州島全体とする説もありますが、ここでは横においておきます。
次に「日向」です。
日向は、このあとの天孫降臨の段で、出てきます。
”皇孫を筑紫の日向の高千穂のくしふる峯にお届けした。”(日本書記の一書(第一))
一般的には、日向国(宮崎県)とされますが、北部九州にもあるのです。
福岡市西部、糸島市境に「日向峠」があり、この地域がかつて「日向」とよばれたことをうかがわせます。
次に「橘」です。
古田武彦氏は、
”傍線部(高千穂の)が地勢を示す地形詞であり、したがって「橘の」も地形詞である。”
としています。
そして、
”橘は「太刀鼻(たちはな)」とも書かれる岬状の突出部を示す。”
”固有名詞は「小戸」となる。”
としています。
こうした推測から、
”博多湾岸の姪の浜海岸に「小戸神社」があるので、ここが小戸である。”
としています。
最後の「阿波壱原」ですが、
”「アハ」とは神聖なであり、「アハキ」とは「神聖な木(または城)を示す。
「阿波岐原」は日本書記では「檍原」と記載されており、
「檍」は、かしのき、もちのき、あおき
「原」は「パル」で、集落のこと”
としています。
以上より、
”筑紫の日向という地域の岬の突出部にある小戸という神聖な場所(集落)”
となります。
”北は能古島に相対し、西南は高祖山連峯を望む地こそ、アマテラス誕生の聖地だった。”
と述べています。
なお、小戸の南、日向峠の東には、吉武高木遺跡があります。吉武高木遺跡は、紀元前5~4世紀頃の遺跡で、三種の神器が出土した日本最古の王墓があります。
この地域一帯が、古代神聖な場所であったことがわかります。禊祓いの場所にふさわしいといえますね。

小戸大神宮の祭神は、
天照皇大神(アマテラスオオミカミ)。
手力雄命(タヂカラオノミコト)。
𣑥幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)
です。
神社の由緒です。
”海中から引き揚げられた銅矛2本が神宝とされ,享保10年(1725年)福岡藩六代藩主黒田継高が社殿を建立しました。
小戸大神宮は神代の昔,伊邪那岐命が御禊祓の神事を行われた尊い地であり,皇祖天照皇大神を始め住吉三神,他神々が御降誕され,神功皇后の御出師及び凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。全国の神社で奏上されております祓詞の中に小戸の地名が入っております。”
たしかにイザナギが禊ぎを行った場所とされており、また、神功皇后の朝鮮半島出兵の港であったなど、由緒ある場所と伝えられています。
しかしながら、もしここが実際に禊ぎが行われた場所であるなら、古代より社殿を建立して祀っていてもよさそうなものですが、社殿建立は18世紀に入ってからと、かなり後代になってからです。しかも銅矛2本が引き上げられたことがきっかけです。
また祭神に、主要神である住吉三神、綿津見三神などが、見当たりません。
もちろんこの地に、古代からの伝承があったのかもしれませんが、やや疑問は残ります。
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