古事記・日本書紀のなかの史実 (31)~神生み⑯ アマテル神社とホアカリ
前回は、日神(アマテル)の源流は対馬であり、なかでも阿麻氐留(アマテル)神社ではないかという話でした。
今回は、そのアマテル神社をみていきましょう。
所在 長崎県対馬市美津島町小船越字河岸川三五二
”式内社・阿麻氐留神社に比定されている古社で、貞観十二年三月、正五位下に叙されている。
天日神命(ヒニミタマ)。津嶋縣直の祖神として、『神名帳考 證』にも「阿麻氐留神是天日神命也」とあり、『特撰神名 牒』は、山城の天照御魂神社、丹波の天照玉命神社等と同 じく、当社も天照國照彦火明命なるべし、と考定してゐる。
阿麻氐留といふのは天照であり、それは本来この地方の神 名で、「天照神」だつたのではないか。それはまた照日神(テルヒノカミ) とも称したことは、『対馬神社誌』に明らかである。”
-『式内社調査報告』-
”「則〔日神命が〕御住地也。高御魂尊之孫裔也。皇孫降臨之時供奉之神也。古事本紀曰、天日神津島縣主等祖云々」”(「大帳」より)
祭神は諸説あります。
・天津向津姫神 ・・・ 「大小神社帳」による
・「対馬下県主、「日神命」またの名は「天照魂命」 ・・・ 「神社大帳」による
・「天日神命(ヒニミタマ)」 ・・・ 「明細帳」による
(玄松子の記憶「阿麻氐留神社」より genbu.net/data/tusima/amateru_title.htm)
注目は、天日神命(ヒニミタマ)が、火明命(ホアカリ)ではないかとされていることです。前回も、全国のアマテル系神社とホアカリとの強い関連について触れました。
ホアカリは、古事記によれば、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた子アメノオシホミミの子です。ホアカリの弟にニニギがおり、ニニギが天孫降臨して日本を支配します。ニニギの子がホオリ(山幸彦)であり、ホオリの孫が神倭伊波毘古命(のちの神武天皇)です。
つまりホアカリは天皇家の親戚になります。

これだけみると、ホアカリは傍系のようですが、はたしてそうでしょうか?
ホアカリの正式名称は、
天照国照彦火明命(アマテラスクニテラスヒコホノホアカリノミコト)・・日本書記
です。
通常は、アマテルクニテルと呼ぶのですが、天照大神をアマテラスと呼ぶなら、アマテラスクニテラスと呼んでもいいでしょう。
ホアカリの場合は、アマテラスにさらにクニテラスまでついているのですから、
”祖母のアマテラス以上の広範な「天」と「地」との両域にまたがる支配権を象徴した名だといえよう。”(「盗まれた神話 記・紀の秘密」(古田武彦)P235より)
並々ならぬ名前であり、いかにもアマテラスの本流にふさわしい名前です。
一方のニニギの名称のひとつは、
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)・・古事記
です。
いろいろな解釈はできますが、ホアカリに比べると、見劣りすることは否めません。
そもそもホアカリは長男であり、ニニギは弟です。
こうしたことから古田武彦氏は、もともとはホアカリが本流であったのではないか、と推論してます。
ではなぜホアカリ系統の話が古事記・日本書紀には記載されていないのかといえば、傍系であるニニギが天皇家につながったためカットされたのではないか、と述べています。
(同上P235より)
なるほどと思わせる仮説です。
ところで、
天日神命は対馬県主の祖であり、対馬県主は、姓氏録未定雑姓・摂津国神別に津島直・津島朝臣が天児屋根(アマノコヤネ)命〔神事の宗家〕から出るとあります。
アマノコヤネとは、『古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、アマテラスが岩戸を少し開いたときに布刀玉命(フトダマ)とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際ニニギに随伴し、中臣連の祖となったとあります。
中臣氏といえば、のちの藤原氏につながる名家です。
一方、ホアカリは、「先代旧事本紀」によれば、邇芸速日命(ニギハヤヒ)と同一とされています。
ニギハヤヒといえば、物部氏・尾張氏・海部氏の祖とされています。
こうした系譜がどれだけ史実を反映しているのかはさておいて、のちの世に大きな勢力をもった氏族たちが、ホアカリを強く信奉していたことは間違いありません。
ところでここで大きな疑問が残ります。
アマテル神社の祭神に、アマテラスの名前がありません。天日神命(ヒニミタマ)がアマテラスを連想させますが、これまでみてきたようにそれはホアカリとされているわけです。となると、アマテラスはどこからきたのか、という疑問です。
千田氏は、松前健氏の説に従い、ホアカリをアマテラスの原型と位置づけています。
そして、
”ニニギノミコトをタカムスヒとする別伝があり、おそらく、このほうが降臨神話の本来の型を保っている。(千田氏同書P35)
としています。
系譜上は、ホアカリの外祖父が高木神であり、高木神は一般的にタカムスヒと同神とされてますので、タカムスヒ系統ということはいえます。
ただしそれにしても、アマテラスの名前が出てこないのには、疑問が残ります。
それに対する答えとして、次のようにも考えられます。
もともと対馬には太陽(アマテル)信仰があった。アマテルは神代の信仰だったが、ホアカリという英雄が登場して、時代を経るにしたがいホアカリが人格神として祀られるようになった。
一方アマテル信仰は海人族の活動とともに各地に広がり、丹波や尾張、畿内や伊勢にも伝わった。いつのころからかアマテラスと呼ばれるようになった。ヤマト王権が信仰したことにより、全国的に広まっていった。
というものです。
もちろん推測であり、断定には慎重であるべきですが、一つの仮説として提示したいと思います。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
今回は、そのアマテル神社をみていきましょう。
所在 長崎県対馬市美津島町小船越字河岸川三五二
”式内社・阿麻氐留神社に比定されている古社で、貞観十二年三月、正五位下に叙されている。
天日神命(ヒニミタマ)。津嶋縣直の祖神として、『神名帳考 證』にも「阿麻氐留神是天日神命也」とあり、『特撰神名 牒』は、山城の天照御魂神社、丹波の天照玉命神社等と同 じく、当社も天照國照彦火明命なるべし、と考定してゐる。
阿麻氐留といふのは天照であり、それは本来この地方の神 名で、「天照神」だつたのではないか。それはまた照日神(テルヒノカミ) とも称したことは、『対馬神社誌』に明らかである。”
-『式内社調査報告』-
”「則〔日神命が〕御住地也。高御魂尊之孫裔也。皇孫降臨之時供奉之神也。古事本紀曰、天日神津島縣主等祖云々」”(「大帳」より)
祭神は諸説あります。
・天津向津姫神 ・・・ 「大小神社帳」による
・「対馬下県主、「日神命」またの名は「天照魂命」 ・・・ 「神社大帳」による
・「天日神命(ヒニミタマ)」 ・・・ 「明細帳」による
(玄松子の記憶「阿麻氐留神社」より genbu.net/data/tusima/amateru_title.htm)
注目は、天日神命(ヒニミタマ)が、火明命(ホアカリ)ではないかとされていることです。前回も、全国のアマテル系神社とホアカリとの強い関連について触れました。
ホアカリは、古事記によれば、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた子アメノオシホミミの子です。ホアカリの弟にニニギがおり、ニニギが天孫降臨して日本を支配します。ニニギの子がホオリ(山幸彦)であり、ホオリの孫が神倭伊波毘古命(のちの神武天皇)です。
つまりホアカリは天皇家の親戚になります。

これだけみると、ホアカリは傍系のようですが、はたしてそうでしょうか?
ホアカリの正式名称は、
天照国照彦火明命(アマテラスクニテラスヒコホノホアカリノミコト)・・日本書記
です。
通常は、アマテルクニテルと呼ぶのですが、天照大神をアマテラスと呼ぶなら、アマテラスクニテラスと呼んでもいいでしょう。
ホアカリの場合は、アマテラスにさらにクニテラスまでついているのですから、
”祖母のアマテラス以上の広範な「天」と「地」との両域にまたがる支配権を象徴した名だといえよう。”(「盗まれた神話 記・紀の秘密」(古田武彦)P235より)
並々ならぬ名前であり、いかにもアマテラスの本流にふさわしい名前です。
一方のニニギの名称のひとつは、
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)・・古事記
です。
いろいろな解釈はできますが、ホアカリに比べると、見劣りすることは否めません。
そもそもホアカリは長男であり、ニニギは弟です。
こうしたことから古田武彦氏は、もともとはホアカリが本流であったのではないか、と推論してます。
ではなぜホアカリ系統の話が古事記・日本書紀には記載されていないのかといえば、傍系であるニニギが天皇家につながったためカットされたのではないか、と述べています。
(同上P235より)
なるほどと思わせる仮説です。
ところで、
天日神命は対馬県主の祖であり、対馬県主は、姓氏録未定雑姓・摂津国神別に津島直・津島朝臣が天児屋根(アマノコヤネ)命〔神事の宗家〕から出るとあります。
アマノコヤネとは、『古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、アマテラスが岩戸を少し開いたときに布刀玉命(フトダマ)とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際ニニギに随伴し、中臣連の祖となったとあります。
中臣氏といえば、のちの藤原氏につながる名家です。
一方、ホアカリは、「先代旧事本紀」によれば、邇芸速日命(ニギハヤヒ)と同一とされています。
ニギハヤヒといえば、物部氏・尾張氏・海部氏の祖とされています。
こうした系譜がどれだけ史実を反映しているのかはさておいて、のちの世に大きな勢力をもった氏族たちが、ホアカリを強く信奉していたことは間違いありません。
ところでここで大きな疑問が残ります。
アマテル神社の祭神に、アマテラスの名前がありません。天日神命(ヒニミタマ)がアマテラスを連想させますが、これまでみてきたようにそれはホアカリとされているわけです。となると、アマテラスはどこからきたのか、という疑問です。
千田氏は、松前健氏の説に従い、ホアカリをアマテラスの原型と位置づけています。
そして、
”ニニギノミコトをタカムスヒとする別伝があり、おそらく、このほうが降臨神話の本来の型を保っている。(千田氏同書P35)
としています。
系譜上は、ホアカリの外祖父が高木神であり、高木神は一般的にタカムスヒと同神とされてますので、タカムスヒ系統ということはいえます。
ただしそれにしても、アマテラスの名前が出てこないのには、疑問が残ります。
それに対する答えとして、次のようにも考えられます。
もともと対馬には太陽(アマテル)信仰があった。アマテルは神代の信仰だったが、ホアカリという英雄が登場して、時代を経るにしたがいホアカリが人格神として祀られるようになった。
一方アマテル信仰は海人族の活動とともに各地に広がり、丹波や尾張、畿内や伊勢にも伝わった。いつのころからかアマテラスと呼ばれるようになった。ヤマト王権が信仰したことにより、全国的に広まっていった。
というものです。
もちろん推測であり、断定には慎重であるべきですが、一つの仮説として提示したいと思います。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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