古事記・日本書紀のなかの史実 (35)~神生み⑳ スサノオ神社と須佐神社
アマテラス、ツクヨミときまして、今回は三貴神の最後、スサノオです。
スサノオは、悪戯によって天上世界に混乱をもたらしたり、アマテラスとの誓約(うけい)をしたり、出雲の地に下りヤマタノオロチ退治をするなど、これから主人公的な役割を果たすことになります。
スサノオを祭る神社をみてみましょう。
まずはスサノオ神社が思い浮かびます。
”素盞嗚(スサノオ)神社は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。日本各地にある。2文字目が「盞」でなく「戔」に、3文字目が「嗚(口に烏)」でなく「鳴(口に鳥)」となっている神社も多い。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社があり、時代や資料によって通用される。
これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され、牛頭天王を祭神としていた。総本社は京都の八坂神社または兵庫県姫路市の広峯神社である。”(Wikipedia「素盞嗚神社」より)
つまり、スサノオが牛頭天王(ごずてんのう)と神仏習合され祇園信仰が生まれ、明治時代の神仏分離令により、スサノオを祭る神社としてのスサノオ神社となった、ということになります。
このあたりがややこしく、かつまた多くの誤解を生むところです。
牛頭天王について、詳しくみてみましょう。
”牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。『簠簋内伝』の記述が著名である。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。本地仏は薬師如来とされた。
明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称した。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社・素戔嗚神社、かつての社名から祇園神社、また地名を冠したものや牛頭天王を祀る以前の旧社名などに改称した。”(Wikipedia「祇園信仰」より)
以上のとおり、スサノオは、後年に牛頭天王(ごずてんのう)と習合されたとの説が有力であり、スサノオ神社がもともとのスサノオ信仰に基づいているかは疑問視されてます。
元々スサノオを祭っているとされる神社に、須佐神社(出雲市)があります。
”須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する。
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。
旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社(出雲市)」と記載され、小社に列している。”(Wikipedia「須佐神社」)
以上のとおり、スサノオの本宮とされてます。
須佐神社HPにも、そのように記載されてます。
”由緒
出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。
岩政信比古の説
『須佐之男命の社は出雲国内にも、余国にも数多あれど、真の本つ社は此社にぞ有りける。然るを世人これを知らずして杵築大社、或は素鵝社、又は京の祇園などを此の神の御社と謂えるぞ恨めしき。』
各種古文書に徴して、須佐之男命の御本宮が須佐神社であることを証して余りあるものと考えさせられる説と思う。”(以上「須佐神社HP」より)


祭神にも注目です。
スサノオが主祭神ですが、妻の稲田比売命(イナダヒメ)命の両親の足摩槌(アシナヅチ)命・手摩槌(テナヅチ)命を配祀しています。
アシナヅチとは、国を治める国神で、オオヤマツミの子です。
高天原から追放されたスサノオは、出雲の斐伊(ひい)川の上流に降り立ち、そこでアシナヅチ夫妻の娘であるイナダヒメをヤマタノオロチから救い出し、妻とします。
ヤマタノオロチ神話に登場する神々がセットで祭られているところも、興味深いところです。
スサノオの本拠地については諸説ありますが、最後の開拓をした須佐の地も、そのひとつといえましょう。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
スサノオは、悪戯によって天上世界に混乱をもたらしたり、アマテラスとの誓約(うけい)をしたり、出雲の地に下りヤマタノオロチ退治をするなど、これから主人公的な役割を果たすことになります。
スサノオを祭る神社をみてみましょう。
まずはスサノオ神社が思い浮かびます。
”素盞嗚(スサノオ)神社は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。日本各地にある。2文字目が「盞」でなく「戔」に、3文字目が「嗚(口に烏)」でなく「鳴(口に鳥)」となっている神社も多い。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社があり、時代や資料によって通用される。
これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され、牛頭天王を祭神としていた。総本社は京都の八坂神社または兵庫県姫路市の広峯神社である。”(Wikipedia「素盞嗚神社」より)
つまり、スサノオが牛頭天王(ごずてんのう)と神仏習合され祇園信仰が生まれ、明治時代の神仏分離令により、スサノオを祭る神社としてのスサノオ神社となった、ということになります。
このあたりがややこしく、かつまた多くの誤解を生むところです。
牛頭天王について、詳しくみてみましょう。
”牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。『簠簋内伝』の記述が著名である。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。本地仏は薬師如来とされた。
明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称した。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社・素戔嗚神社、かつての社名から祇園神社、また地名を冠したものや牛頭天王を祀る以前の旧社名などに改称した。”(Wikipedia「祇園信仰」より)
以上のとおり、スサノオは、後年に牛頭天王(ごずてんのう)と習合されたとの説が有力であり、スサノオ神社がもともとのスサノオ信仰に基づいているかは疑問視されてます。
元々スサノオを祭っているとされる神社に、須佐神社(出雲市)があります。
”須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する。
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。
旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社(出雲市)」と記載され、小社に列している。”(Wikipedia「須佐神社」)
以上のとおり、スサノオの本宮とされてます。
須佐神社HPにも、そのように記載されてます。
”由緒
出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。
岩政信比古の説
『須佐之男命の社は出雲国内にも、余国にも数多あれど、真の本つ社は此社にぞ有りける。然るを世人これを知らずして杵築大社、或は素鵝社、又は京の祇園などを此の神の御社と謂えるぞ恨めしき。』
各種古文書に徴して、須佐之男命の御本宮が須佐神社であることを証して余りあるものと考えさせられる説と思う。”(以上「須佐神社HP」より)


祭神にも注目です。
スサノオが主祭神ですが、妻の稲田比売命(イナダヒメ)命の両親の足摩槌(アシナヅチ)命・手摩槌(テナヅチ)命を配祀しています。
アシナヅチとは、国を治める国神で、オオヤマツミの子です。
高天原から追放されたスサノオは、出雲の斐伊(ひい)川の上流に降り立ち、そこでアシナヅチ夫妻の娘であるイナダヒメをヤマタノオロチから救い出し、妻とします。
ヤマタノオロチ神話に登場する神々がセットで祭られているところも、興味深いところです。
スサノオの本拠地については諸説ありますが、最後の開拓をした須佐の地も、そのひとつといえましょう。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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