古事記・日本書紀のなかの史実 (36)~神生み㉑ 熊野大社とクマノクスビ
スサノオの神社というと、熊野大社(出雲)や熊野本宮大社(和歌山)も思い浮かびます。
古事記では熊野との関連性といえば、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五柱の神の一柱の、熊野久須毘命(クマノクスビ)が挙げられます。

”神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。「クマノ」は熊野のことであり、出雲の熊野大社(島根県松江市)のこととも、紀伊の熊野三山のことともされる。熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。
熊野三山の一つの熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の祭神・熊野夫須美大神は伊弉冉尊のこととされるが、これもクマノクスビのことであるとする説がある。”(Wikipedia「クマノムスビ」より)
この熊野が、出雲の熊野大社か、あるいは紀伊の熊野三山とされています。
日本書紀一書(第五)では、
”スサノヲ神が国の将来像に思いをきたす時に「韓郷の島には金銀がある。わが子が治める国に船がなかったら困るだろう」と思案を巡らされました。そこで、スサノヲ神は自らのヒゲを抜いて放つと、そのヒゲが杉の木になった。胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。これらの樹木を見て「杉と樟は、船を造るのによい。檜は宮を造るのに、槙は現世の国民の棺を造るのによい。たくさんの木の種を播こう」と事業計画を立案されました
この計画は、スサノオの子である五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)の三神により、全国各地に木種を播かれ、生命豊な青山となりました。 その後、スサノヲ神は熊成峯(くまなりのたけ)を通って、とうとう根の国に入られました。
別の一書(第四)をみてみると、スサノヲ神がヤマタノオロチを退治した後、子の五十猛神が、大量に所持していた樹種を以て、国中の山々を青く茂らす為に、全国的な植樹事業を始めました。筑紫から始められた植樹は、国中を青山にすることに成功し、五十猛神はその功績が称えられて有功之神(いさをしのかみ)と御神名が仰がれ、紀伊國の鎮座する神様となりました。”(出雲大社・東京分詞HP「コラム その七○(神の木々 ~ 6 ~)」より)
はじめの話は、スサノオの子のイソタケルらによって日本に植樹され、スサノオ自身はクマノナリタケを通って、根の国に行ってしまいます。
次の話では、同じくイソタケルが植樹してイサヲノカミとなり、紀伊国に鎮座します。スサノオの拠点が出雲であれば、「出雲⇒紀伊」の流れです。
では熊野大社(出雲)をみてみましょう。
”火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。出雲国造本来の奉斎社であり、意宇六社の一つに数えられている。
紀伊国の熊野三山(熊野国造奉斎社)も有名だが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。
創建は(伝)神代。
祭神は次の1柱。
伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
祭神名は素戔嗚尊の別名であるとする。「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意、「加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としている。「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。
これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、『出雲国風土記』には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなぎのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。現代では櫛御気野命と素戔嗚尊とは本来は無関係であったとみる説も出ているが、『先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、少なくとも現存する伝承が成立した時にはすでに櫛御気野命が素戔嗚尊とは同一神と考えられていたことがわかる。
明治に入り、祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」としたが、復古主義に基づいて神名の唱え方を伝統的な形式に戻したまでのことで、この段階では素戔嗚尊とは別の神と認定したわけではない。後の神社明細帳でも「須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」とあり、同一神という伝承に忠実なことでは一貫しており、別の神とするのはあくまでも現代人の説にすぎない。” (Wikipedia「熊野大社」より)
ややこしいですが、祭神の、
伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギノヒマナゴ カブロギクマノノオオkマミ クシミケヌノミコト)
とは、
”イザナギが可愛がる御子であり、「神聖な祖神」であり、熊野に鎮座する「櫛御気野命(くしみけぬのみこと、食物神)」”
ということになります。
スサノオの別名とされてますが、疑問も残ります。食物神と、荒々しいスサノオの性格とは、相容れないものが感じられるからです。
ところで熊野大社は、火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)と呼ばれてます。
一方、クマノクスビですが、
”クマノムスビの神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。”
とあり、熊野大社との深い関連が推測されます。
そして、
”熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。”
さらにいうならば、「クシミケヌノミコト=クマノクスビ」の可能性もありそうです。
実際、
”櫛御気野命に神饌を意味するミケが含まれていることから、熊野久須毘命のクマを同じく神饌と捉え、同一の神格ととる説もある。”(国学院大学古事記学センターHP「熊野久須毘命」より)
つまり、熊野大社とは、もともとはスサノオとアマテラスとの誓約で生まれた五柱の神クマノクスビを祭ったものである。それが後代になり、スサノオと習合され、スサノオを祭ることとなった、という可能性が考えられます。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
古事記では熊野との関連性といえば、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五柱の神の一柱の、熊野久須毘命(クマノクスビ)が挙げられます。

”神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。「クマノ」は熊野のことであり、出雲の熊野大社(島根県松江市)のこととも、紀伊の熊野三山のことともされる。熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。
熊野三山の一つの熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の祭神・熊野夫須美大神は伊弉冉尊のこととされるが、これもクマノクスビのことであるとする説がある。”(Wikipedia「クマノムスビ」より)
この熊野が、出雲の熊野大社か、あるいは紀伊の熊野三山とされています。
日本書紀一書(第五)では、
”スサノヲ神が国の将来像に思いをきたす時に「韓郷の島には金銀がある。わが子が治める国に船がなかったら困るだろう」と思案を巡らされました。そこで、スサノヲ神は自らのヒゲを抜いて放つと、そのヒゲが杉の木になった。胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。これらの樹木を見て「杉と樟は、船を造るのによい。檜は宮を造るのに、槙は現世の国民の棺を造るのによい。たくさんの木の種を播こう」と事業計画を立案されました
この計画は、スサノオの子である五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)の三神により、全国各地に木種を播かれ、生命豊な青山となりました。 その後、スサノヲ神は熊成峯(くまなりのたけ)を通って、とうとう根の国に入られました。
別の一書(第四)をみてみると、スサノヲ神がヤマタノオロチを退治した後、子の五十猛神が、大量に所持していた樹種を以て、国中の山々を青く茂らす為に、全国的な植樹事業を始めました。筑紫から始められた植樹は、国中を青山にすることに成功し、五十猛神はその功績が称えられて有功之神(いさをしのかみ)と御神名が仰がれ、紀伊國の鎮座する神様となりました。”(出雲大社・東京分詞HP「コラム その七○(神の木々 ~ 6 ~)」より)
はじめの話は、スサノオの子のイソタケルらによって日本に植樹され、スサノオ自身はクマノナリタケを通って、根の国に行ってしまいます。
次の話では、同じくイソタケルが植樹してイサヲノカミとなり、紀伊国に鎮座します。スサノオの拠点が出雲であれば、「出雲⇒紀伊」の流れです。
では熊野大社(出雲)をみてみましょう。
”火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。出雲国造本来の奉斎社であり、意宇六社の一つに数えられている。
紀伊国の熊野三山(熊野国造奉斎社)も有名だが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。
創建は(伝)神代。
祭神は次の1柱。
伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
祭神名は素戔嗚尊の別名であるとする。「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意、「加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としている。「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。
これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、『出雲国風土記』には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなぎのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。現代では櫛御気野命と素戔嗚尊とは本来は無関係であったとみる説も出ているが、『先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、少なくとも現存する伝承が成立した時にはすでに櫛御気野命が素戔嗚尊とは同一神と考えられていたことがわかる。
明治に入り、祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」としたが、復古主義に基づいて神名の唱え方を伝統的な形式に戻したまでのことで、この段階では素戔嗚尊とは別の神と認定したわけではない。後の神社明細帳でも「須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」とあり、同一神という伝承に忠実なことでは一貫しており、別の神とするのはあくまでも現代人の説にすぎない。” (Wikipedia「熊野大社」より)
ややこしいですが、祭神の、
伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギノヒマナゴ カブロギクマノノオオkマミ クシミケヌノミコト)
とは、
”イザナギが可愛がる御子であり、「神聖な祖神」であり、熊野に鎮座する「櫛御気野命(くしみけぬのみこと、食物神)」”
ということになります。
スサノオの別名とされてますが、疑問も残ります。食物神と、荒々しいスサノオの性格とは、相容れないものが感じられるからです。
ところで熊野大社は、火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)と呼ばれてます。
一方、クマノクスビですが、
”クマノムスビの神名の「クスビ(クスヒ)」は「奇し霊」(神秘的な神霊)もしくは「奇し火」の意と考えられる。”
とあり、熊野大社との深い関連が推測されます。
そして、
”熊野大社の現在の祭神は「熊野大神櫛御気野命」であるが、元々の祭神はクマノクスビであったとする説がある。”
さらにいうならば、「クシミケヌノミコト=クマノクスビ」の可能性もありそうです。
実際、
”櫛御気野命に神饌を意味するミケが含まれていることから、熊野久須毘命のクマを同じく神饌と捉え、同一の神格ととる説もある。”(国学院大学古事記学センターHP「熊野久須毘命」より)
つまり、熊野大社とは、もともとはスサノオとアマテラスとの誓約で生まれた五柱の神クマノクスビを祭ったものである。それが後代になり、スサノオと習合され、スサノオを祭ることとなった、という可能性が考えられます。


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