古事記・日本書紀のなかの史実 (49) ~ 天岩戸神話とギリシア神話
天岩戸神話に関する素朴な疑問の続きです。
c.なぜアメノウズメは、裸になって踊るという奇怪な行動をとったのか?
d.そもそも一連の話は、何を意味しているのか?
cですが、これもよくわからない話です。
その場面ですが、
”アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタジカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。”
ようはアマテラスを外におびき出すために、裸になって踊った、ということですが、われわれの感覚からすると、ずいぶんと品のないとうか、常識はずれな行動です。現代なら、公序良俗違反で逮捕されていますよね。
それを当時の人たちは、むしろ面白がって、楽しんでいます。
だから古代人は、陽気で素朴で開けっぴろげだったのだ、という見方ができます。
もちろんそれはそうなのかもしれませんが、もうひとつ、こうした風習が当時普通に行われていたのではないか、という推測もできます。
これに加えて、dの天岩戸神話の意味するところ全体について、ギリシア神話との類似が指摘されていることは、前にお話ししました。
まず、ギリシア神話の該当部分のおさらいです。生々しい大人の表現があるので、気になる方は、さらりと読んでください。
"デメテルはあるとき、アルカディア地方を通りかかったおりに、彼女に情欲を燃やしたポセイドンによって、後をつけられているのに気づいた。彼女はそこで、とっさに一頭の牝馬に姿を変えて、付近で草を食んでいる馬の群れの中に混じり、ポセイドンの目をくらまそうとした。
しかしポセイドンは、女神の変身を目ざとく見破り、自身もすかさず牝馬の形をとると、牝馬になったデメテルを捕らえて、むりやりに情欲を遂げた。
この交わりの結果デメテルは、秘儀にあずからぬ者には名を明かすことのできぬ大女神と、アレイトンと呼ばれる一頭の馬を生んだ。
この事件の後、デメテルはポセイドンの理不尽な行為に憤って、黒衣に身を包み、山中の洞穴の中に閉じこもって、作物を生育させる大地女神としての機能を果たすことをやめ、世界を飢饉に陥れた。困惑したゼウスは、最後に運命の女神のモイライをこの隠所に派遣して説得にあたらせ、ようやくデメテルを洞穴から出させることができた。”(「日本神話の源流」(吉田敦彦)P146)
ポセイドンはオリンポス十二神の一柱で、海と地震を司る神で、粗野で狂暴なことで知られています。デメテルもオリンポス十二神の一柱、豊穣の女神で、ポセイドンの姉です。
ちなみに十二神といえば、有名な全知全能の神ゼウスがいます。
つまり、ゼウス、ポセイドン、デメテルは、兄弟姉妹ということになります。
上の話について、デメテルがアマテラス、スサノオがポセイドンに対応するというのです。
これに関して非常に興味深い論文があるので紹介します。「ポセイドーンとスサノオノミコト : 比較神話学の一方法の試み」(小林太市郎)からです。
”次にスサノオノミコトが天照大神の身に佩びた珠を乞いわたして子を生んだというその珠は,や はり円くて貫くものであるから,これもまた怪しむに足らない。しかるにスサノオの剣すなわちそ の胤から生まれた子が三人ともみな女であって,ミコトの詞に,「我が心清明き故に,我が生めりし御子,手弱女を得つ」というのは実に徹底したフェミニスムで,これより甚だしい女性尊重論は ない。そしてそれはスサノオノミコトが,まず母系制の海洋人の祀る海神であったことを明かに 示している。”
まずは、ウケイ(誓約)の話です。文章中の冒頭の記載が何を意味しているのかは明らかですね。「神婚」つまり神同士の交わりであったと述べています。
そして面白いのは、スサノオがフェニミズム(女性尊重論)である、としている点です。
「私の心が清明であるから、私が生んだ子は女の子であった」、つまり生まれた女の子も心が清明だ、ということからフェミニズムとしているように受け取れますが、はたしてそこまでいえるのかは何ともいえないところです。
また母系の海洋民族の祀る神であった、としている点も注目です。
”しかるにこの二神の hieros garmos に際し,デーメーテールを姦したときのポセイドーンと同じ ように,スサノオノミコトが確かに馬形をとったことを,この神話の続きは紛れなく示唆している。
すなわち彼は勝ち誇って種々の乱暴をはたらき,農耕神たる天照大神のつくる田の畔を離ち,溝 を埋め,またその御殿に屎まり散らす等のことをするが,これは人よりもむしろ馬の所行として 肯かれること言うまでもない 。”
hieros garmosとは、「神婚」のことです。ポセイドンは牡馬になってデメテルを姦したのですが、スサノオも馬の形をとったことに注目してます。スサノオのその後の乱暴狼藉を、馬の所業と解釈してます。いわれてみれば、そのように解釈もできそうです。
”しかし決定的なのは,女神がペーネロペーのように機織るその服屋(はたや)の頂(むね)を穿 って,天斑馬(あめのふちこま)を逆剥に剥いだ皮を,彼が堕し入れた。そのとき天御衣織女(あめのみそおりめ)が見驚いて,機織る梭(ひ)を自分の陰上(ほと)に衝きたてて死んだ。そこ で天照大神が 見畏みて,天石屋戸を閉ててさし籠りましましき,すなわち高天原みな暗く,葦原 中国悉に闇し,此に因りて常夜ゆく。」ということである。
この織女はあきらかに天照大神と同体分身の神女で,まさしくデーメーテールのコレーに相当す る。また「日本書紀』に引く一書にはこれを稚日女尊(ワカヒルメノミコト)のこととするが,ワ カヒルメはすなわち大日霊貴(オナヒルメノムチ)を名とする天照大神の嫡女で,いよいよコ レ ーにほかならない。すなわちこの話は実は天照大神自身がその陰をついて死んだ,すなわち天石屋 に幽居したので,太陽かくれて世が常闇になったということを示 唆す る。”
機織り女とアマテラスを同体分身の神女としてます。コレーとは、ベルセポネーのことで、デメテルとゼウスの娘です。
デメテルが「母」を意味するのに対してコレーは「若い娘」を意味します。
ワカヒルメはよくわかっていません。
”神名の「稚日女(ワカヒルメ)」は若く瑞々しい日の女神という意味である。天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。”(Wikipedia「ワカヒルメ」より)
つまり
・アマテラス自身あるいはアマテラスの幼名
・アマテラスの妹神
・アマテラスの御子神
など、諸説あります。
論文では、アマテラス=オオヒルメであるから、ワカヒルメはアマテラスの御子神との説をとっています。
そうなると、デメテルの娘のベルセポネー(コレー)との関係と同じであるといっているわけです。

図をみればわかるとおり、おおむねの関係は同じであることがわかります。
論文に戻ります。
”すなわち『古事記』はそこを陰上と明記した代りに,天照大神を織女とせざるを得なかった。しかし『書紀』の撰者はそういう身代りを欲せず,天照大神自身が傷身して死んだと言う代りに,陰上をぼかしてしまったのである。すなわち傷身処を明記するか,身代りを立てるかの二者択一を ,神話作者あるいは記紀の編者は迫られたのであるが,記紀それぞれに異なる択一が採られたこ とは幸であった。
若し両者ともに同じ択一に従ったならば,この貴重な比較をすることができず,ひいて神話の原形を捕捉するのが難しくなったにちがいない。
あるいは舎人親王が『古事記』の茲の丈を見て安麻呂の苦衷を察し,わざと「天照大神驚動.以 梭傷身」と記して,彼を助けられたのかも知れぬ。そして恐らくはそうであろう。昔の学者には それぐらいの侠気も洒落気もあったと考えてよい 。”
なぜ古事記と日本書記の記述は異なっているのか、についての推測です。たしかにそのようにとれなくもありませんね。
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c.なぜアメノウズメは、裸になって踊るという奇怪な行動をとったのか?
d.そもそも一連の話は、何を意味しているのか?
cですが、これもよくわからない話です。
その場面ですが、
”アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。
これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。
アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタジカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。”
ようはアマテラスを外におびき出すために、裸になって踊った、ということですが、われわれの感覚からすると、ずいぶんと品のないとうか、常識はずれな行動です。現代なら、公序良俗違反で逮捕されていますよね。
それを当時の人たちは、むしろ面白がって、楽しんでいます。
だから古代人は、陽気で素朴で開けっぴろげだったのだ、という見方ができます。
もちろんそれはそうなのかもしれませんが、もうひとつ、こうした風習が当時普通に行われていたのではないか、という推測もできます。
これに加えて、dの天岩戸神話の意味するところ全体について、ギリシア神話との類似が指摘されていることは、前にお話ししました。
まず、ギリシア神話の該当部分のおさらいです。生々しい大人の表現があるので、気になる方は、さらりと読んでください。
"デメテルはあるとき、アルカディア地方を通りかかったおりに、彼女に情欲を燃やしたポセイドンによって、後をつけられているのに気づいた。彼女はそこで、とっさに一頭の牝馬に姿を変えて、付近で草を食んでいる馬の群れの中に混じり、ポセイドンの目をくらまそうとした。
しかしポセイドンは、女神の変身を目ざとく見破り、自身もすかさず牝馬の形をとると、牝馬になったデメテルを捕らえて、むりやりに情欲を遂げた。
この交わりの結果デメテルは、秘儀にあずからぬ者には名を明かすことのできぬ大女神と、アレイトンと呼ばれる一頭の馬を生んだ。
この事件の後、デメテルはポセイドンの理不尽な行為に憤って、黒衣に身を包み、山中の洞穴の中に閉じこもって、作物を生育させる大地女神としての機能を果たすことをやめ、世界を飢饉に陥れた。困惑したゼウスは、最後に運命の女神のモイライをこの隠所に派遣して説得にあたらせ、ようやくデメテルを洞穴から出させることができた。”(「日本神話の源流」(吉田敦彦)P146)
ポセイドンはオリンポス十二神の一柱で、海と地震を司る神で、粗野で狂暴なことで知られています。デメテルもオリンポス十二神の一柱、豊穣の女神で、ポセイドンの姉です。
ちなみに十二神といえば、有名な全知全能の神ゼウスがいます。
つまり、ゼウス、ポセイドン、デメテルは、兄弟姉妹ということになります。
上の話について、デメテルがアマテラス、スサノオがポセイドンに対応するというのです。
これに関して非常に興味深い論文があるので紹介します。「ポセイドーンとスサノオノミコト : 比較神話学の一方法の試み」(小林太市郎)からです。
”次にスサノオノミコトが天照大神の身に佩びた珠を乞いわたして子を生んだというその珠は,や はり円くて貫くものであるから,これもまた怪しむに足らない。しかるにスサノオの剣すなわちそ の胤から生まれた子が三人ともみな女であって,ミコトの詞に,「我が心清明き故に,我が生めりし御子,手弱女を得つ」というのは実に徹底したフェミニスムで,これより甚だしい女性尊重論は ない。そしてそれはスサノオノミコトが,まず母系制の海洋人の祀る海神であったことを明かに 示している。”
まずは、ウケイ(誓約)の話です。文章中の冒頭の記載が何を意味しているのかは明らかですね。「神婚」つまり神同士の交わりであったと述べています。
そして面白いのは、スサノオがフェニミズム(女性尊重論)である、としている点です。
「私の心が清明であるから、私が生んだ子は女の子であった」、つまり生まれた女の子も心が清明だ、ということからフェミニズムとしているように受け取れますが、はたしてそこまでいえるのかは何ともいえないところです。
また母系の海洋民族の祀る神であった、としている点も注目です。
”しかるにこの二神の hieros garmos に際し,デーメーテールを姦したときのポセイドーンと同じ ように,スサノオノミコトが確かに馬形をとったことを,この神話の続きは紛れなく示唆している。
すなわち彼は勝ち誇って種々の乱暴をはたらき,農耕神たる天照大神のつくる田の畔を離ち,溝 を埋め,またその御殿に屎まり散らす等のことをするが,これは人よりもむしろ馬の所行として 肯かれること言うまでもない 。”
hieros garmosとは、「神婚」のことです。ポセイドンは牡馬になってデメテルを姦したのですが、スサノオも馬の形をとったことに注目してます。スサノオのその後の乱暴狼藉を、馬の所業と解釈してます。いわれてみれば、そのように解釈もできそうです。
”しかし決定的なのは,女神がペーネロペーのように機織るその服屋(はたや)の頂(むね)を穿 って,天斑馬(あめのふちこま)を逆剥に剥いだ皮を,彼が堕し入れた。そのとき天御衣織女(あめのみそおりめ)が見驚いて,機織る梭(ひ)を自分の陰上(ほと)に衝きたてて死んだ。そこ で天照大神が 見畏みて,天石屋戸を閉ててさし籠りましましき,すなわち高天原みな暗く,葦原 中国悉に闇し,此に因りて常夜ゆく。」ということである。
この織女はあきらかに天照大神と同体分身の神女で,まさしくデーメーテールのコレーに相当す る。また「日本書紀』に引く一書にはこれを稚日女尊(ワカヒルメノミコト)のこととするが,ワ カヒルメはすなわち大日霊貴(オナヒルメノムチ)を名とする天照大神の嫡女で,いよいよコ レ ーにほかならない。すなわちこの話は実は天照大神自身がその陰をついて死んだ,すなわち天石屋 に幽居したので,太陽かくれて世が常闇になったということを示 唆す る。”
機織り女とアマテラスを同体分身の神女としてます。コレーとは、ベルセポネーのことで、デメテルとゼウスの娘です。
デメテルが「母」を意味するのに対してコレーは「若い娘」を意味します。
ワカヒルメはよくわかっていません。
”神名の「稚日女(ワカヒルメ)」は若く瑞々しい日の女神という意味である。天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。”(Wikipedia「ワカヒルメ」より)
つまり
・アマテラス自身あるいはアマテラスの幼名
・アマテラスの妹神
・アマテラスの御子神
など、諸説あります。
論文では、アマテラス=オオヒルメであるから、ワカヒルメはアマテラスの御子神との説をとっています。
そうなると、デメテルの娘のベルセポネー(コレー)との関係と同じであるといっているわけです。

図をみればわかるとおり、おおむねの関係は同じであることがわかります。
論文に戻ります。
”すなわち『古事記』はそこを陰上と明記した代りに,天照大神を織女とせざるを得なかった。しかし『書紀』の撰者はそういう身代りを欲せず,天照大神自身が傷身して死んだと言う代りに,陰上をぼかしてしまったのである。すなわち傷身処を明記するか,身代りを立てるかの二者択一を ,神話作者あるいは記紀の編者は迫られたのであるが,記紀それぞれに異なる択一が採られたこ とは幸であった。
若し両者ともに同じ択一に従ったならば,この貴重な比較をすることができず,ひいて神話の原形を捕捉するのが難しくなったにちがいない。
あるいは舎人親王が『古事記』の茲の丈を見て安麻呂の苦衷を察し,わざと「天照大神驚動.以 梭傷身」と記して,彼を助けられたのかも知れぬ。そして恐らくはそうであろう。昔の学者には それぐらいの侠気も洒落気もあったと考えてよい 。”
なぜ古事記と日本書記の記述は異なっているのか、についての推測です。たしかにそのようにとれなくもありませんね。
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