古事記・日本書紀のなかの史実 (48) ~ 天岩戸神話③
前回は、天岩戸神話が日食を表しているのではないかという説に対して、科学的データを用いて検証しました。
ここでもうひとつ、注目すべき点があります。
それは、天岩戸神話に似た話が、世界中に多く存在することです。
”インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。
ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。残った一つずつの日月は隠れてしまった。天地は真っ暗。知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。
プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。
ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。
その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。
中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。”(Wikipedia「天岩戸神話」より)
以上のとおり、東アジアから東南アジアにかけて、天岩戸神話に似た「射日神話」「招日神話」が多いことがわかります。
注目すべきは、太陽とともに、月がセットになっていることです。
また、解決にニワトリが登場している点も、似てますね。
ではこの「射日・招日」神話は、日食を表しているのでしょうか?
もう少し詳しくみてみましょう。
中国の神話からです。
”羿(げい)は、中国神話に登場する人物。
天帝である帝夋(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。
このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をつかわした。帝夋は羿に紅色の弓(彤弓)と白羽の矢を与えた。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる。
その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣(窫窳・鑿歯・九嬰・大風・修蛇・封豨)を退治し、人々にその偉業を称えられた。(「Wikipedia「羿」より)

この神話では、10個の太陽のせいで灼熱地獄になったため、9個を射落として1個にしました。
その間、太陽が出なくなり暗くなるという描写はありません。つまり、日食とではないといえます。
実際、通説でも、
”はじめ太陽・月は複数で存在し、それが英雄によって今日のように一ずつになったという射日・射月型の神話は、本来的には酷暑に悩む熱帯地方に発生した神話であり、したがって、射月神話はおそらく射日神話から派生したものであろう。”(「世界神話事典 創成神話と英雄伝説」(大林太良他編、P429-430)
とあります。
中国の神話も、
”地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。”
とあり、もともとは熱帯地方に発生した神話の名残をとどめています。
同書では、天岩戸神話に似た神話として、別の神話を挙げてます。
”日と月が邪悪な存在によって引き起こされるという日食・月食の起源神話は世界的に拡まっている。”
”東南アジアの日食・月食神話は、インド神話の影響を強く受けている。ただし、東南アジアの各地ではおおむね三人兄弟の話となっており、タイでもその点は同じである。”(同書、P408-409)
タイの神話をみてみましょう。
”太陽と月とラフは人間の兄弟で、地上で一緒に暮らしていた。ところが、長兄である太陽は毎日、僧侶たちに施し物として黄金を与え、次兄の月は同じように銀を施したが、末弟のラフは汚れた鉢に米を少し入れて恵むことしかしなかった。そのため、二人の兄は死ぬと天上に昇って太陽と月になって神々の仲間入りをした。
だが、ラフは腕と爪しかない真っ黒な怪物になった。ラフは兄たちを妬み、彼らに襲いかかって飲み込もうとする。日食と月食はそのために起こるのであるという。”
“天岩戸神話は、東南アジアに拡まっている三人兄弟を主人公とする日食・月食神話の面影をとどめている。”(同書P409)
"インドや東南アジアでは、太陽・月にもう一人の兄弟がいて、三人の兄弟姉妹とされ、その第三の兄弟が太陽・月に対する加害者とされる。太陽・月は彼によって突然侵害され、地上は危機的状況に追い込まれる。日食と月食は、このようにして発生すると説明されている。”(同書P429)
いずれも三人兄弟がいるところに注目です。
日本でも、
・アマテラス=姉
・ツキヨミ=弟
・スサノオ=弟
です。
そして、第三の兄弟であるスサノオが、加害者となり、地上は危機的状況になる点も同じです。
これだけ似ていれば、単なる偶然ではなく、伝播したと考えざるをえません。
ただし、これがはたして射日・射月神話と似ているかというと、そうともいえないでしょう。
射日・射月神話と、日食・月食の起源神話については、もともと別の系統の神話だった可能性もありますし、もしかしたら祖型となる神話があり、それが二つに分かれた可能性もあります。
いずれにしろ、天岩戸神話は、この二つの神話群の流れを汲んでいるとみていいでしょう。

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ここでもうひとつ、注目すべき点があります。
それは、天岩戸神話に似た話が、世界中に多く存在することです。
”インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。
ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。残った一つずつの日月は隠れてしまった。天地は真っ暗。知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。
プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。
ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。
その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。
中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。”(Wikipedia「天岩戸神話」より)
以上のとおり、東アジアから東南アジアにかけて、天岩戸神話に似た「射日神話」「招日神話」が多いことがわかります。
注目すべきは、太陽とともに、月がセットになっていることです。
また、解決にニワトリが登場している点も、似てますね。
ではこの「射日・招日」神話は、日食を表しているのでしょうか?
もう少し詳しくみてみましょう。
中国の神話からです。
”羿(げい)は、中国神話に登場する人物。
天帝である帝夋(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。
このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をつかわした。帝夋は羿に紅色の弓(彤弓)と白羽の矢を与えた。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる。
その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣(窫窳・鑿歯・九嬰・大風・修蛇・封豨)を退治し、人々にその偉業を称えられた。(「Wikipedia「羿」より)

この神話では、10個の太陽のせいで灼熱地獄になったため、9個を射落として1個にしました。
その間、太陽が出なくなり暗くなるという描写はありません。つまり、日食とではないといえます。
実際、通説でも、
”はじめ太陽・月は複数で存在し、それが英雄によって今日のように一ずつになったという射日・射月型の神話は、本来的には酷暑に悩む熱帯地方に発生した神話であり、したがって、射月神話はおそらく射日神話から派生したものであろう。”(「世界神話事典 創成神話と英雄伝説」(大林太良他編、P429-430)
とあります。
中国の神話も、
”地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。”
とあり、もともとは熱帯地方に発生した神話の名残をとどめています。
同書では、天岩戸神話に似た神話として、別の神話を挙げてます。
”日と月が邪悪な存在によって引き起こされるという日食・月食の起源神話は世界的に拡まっている。”
”東南アジアの日食・月食神話は、インド神話の影響を強く受けている。ただし、東南アジアの各地ではおおむね三人兄弟の話となっており、タイでもその点は同じである。”(同書、P408-409)
タイの神話をみてみましょう。
”太陽と月とラフは人間の兄弟で、地上で一緒に暮らしていた。ところが、長兄である太陽は毎日、僧侶たちに施し物として黄金を与え、次兄の月は同じように銀を施したが、末弟のラフは汚れた鉢に米を少し入れて恵むことしかしなかった。そのため、二人の兄は死ぬと天上に昇って太陽と月になって神々の仲間入りをした。
だが、ラフは腕と爪しかない真っ黒な怪物になった。ラフは兄たちを妬み、彼らに襲いかかって飲み込もうとする。日食と月食はそのために起こるのであるという。”
“天岩戸神話は、東南アジアに拡まっている三人兄弟を主人公とする日食・月食神話の面影をとどめている。”(同書P409)
"インドや東南アジアでは、太陽・月にもう一人の兄弟がいて、三人の兄弟姉妹とされ、その第三の兄弟が太陽・月に対する加害者とされる。太陽・月は彼によって突然侵害され、地上は危機的状況に追い込まれる。日食と月食は、このようにして発生すると説明されている。”(同書P429)
いずれも三人兄弟がいるところに注目です。
日本でも、
・アマテラス=姉
・ツキヨミ=弟
・スサノオ=弟
です。
そして、第三の兄弟であるスサノオが、加害者となり、地上は危機的状況になる点も同じです。
これだけ似ていれば、単なる偶然ではなく、伝播したと考えざるをえません。
ただし、これがはたして射日・射月神話と似ているかというと、そうともいえないでしょう。
射日・射月神話と、日食・月食の起源神話については、もともと別の系統の神話だった可能性もありますし、もしかしたら祖型となる神話があり、それが二つに分かれた可能性もあります。
いずれにしろ、天岩戸神話は、この二つの神話群の流れを汲んでいるとみていいでしょう。

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