古事記・日本書紀のなかの史実 (53) ~スサノオ出雲へ天降る
前回は、アマテラスが天岩戸から引き出されて、世の中がパッと明るくなったとことでした。
その続きです。
”八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を負わせ、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。”
暴虐の限りを尽くしたスサノオでしたが、その償いをさせられます。ずいぶんと残酷な罰のようにも思えますが、単なる刑罰というよりも、罪穢れを祓うという意味があったようです。
”髭を切ったり、手足の爪を抜かせたりしたのは、呪的転移であって、身に追うている罪穢れを身体の一部である髭や爪に呪的に転移せしめて、自身の清浄を回復させようとしたものである。”(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)P84より)
そして高天原から追放されてしまいます。高天原は、一般的には天上界を表しているとされていますが、この物語が何らかの史実を伝えているとすれば、どこかの場所ということになります。その場所は、対馬近辺ではないか、という話をしました。
”高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えて大気都比売(オオゲツヒメ)に食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。
スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。 これを神産巣日(カミムスヒ)御祖神が回収した。”
ここでオオゲツヒメが登場します。
オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれてますが、『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てきます。
”オオゲツヒメという名称は「大いなる食物の女神」の意味である。”
”殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。オオゲツヒメから生じるのが穀物であるのは、日本では穀物が主に栽培されていたためと考えられている。”(以上、Wikipedia「オオゲツヒメ」より)
このような神話は、ハイヌウェレ型神話と呼ばれます。有名なインドネシアのセラム島のウェマーレ族に伝わる話は、次のようなものです。
”ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”(Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)
オオゲツヒメ神話とよく似ていますね。芋栽培をする際に、芋をいくつかに切って埋めるとそこから芋が生えてくることからも、ハイヌウェレ型神話の源流は、南方の芋栽培文化と考えられます。それが長い年月を経て伝播して、オオゲツヒメ神話のような形に変化したと推測されます。
さて高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立ちます。
古事記では、出雲に直接降り立ったと記載していますが、日本書記の一書第四では、その途中、新羅に立ち寄ったとされています。
”高天原を追放されたスサノオは、”その子イソタケルをひきいて、新羅の国に降られて、曾尸茂梨(ソシモリ、ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私はいたくないのだ」と。ついで土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。”(「日本書紀」(宇治谷孟)より)
北部九州と朝鮮半島の間で交易があったことはたしかです。また朝鮮半島から海流に乗れば日本海沿岸にたどり着きますので、
高天原→新羅→出雲
という流れがあっても、おかしくありませんね。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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”八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を負わせ、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。”
暴虐の限りを尽くしたスサノオでしたが、その償いをさせられます。ずいぶんと残酷な罰のようにも思えますが、単なる刑罰というよりも、罪穢れを祓うという意味があったようです。
”髭を切ったり、手足の爪を抜かせたりしたのは、呪的転移であって、身に追うている罪穢れを身体の一部である髭や爪に呪的に転移せしめて、自身の清浄を回復させようとしたものである。”(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)P84より)
そして高天原から追放されてしまいます。高天原は、一般的には天上界を表しているとされていますが、この物語が何らかの史実を伝えているとすれば、どこかの場所ということになります。その場所は、対馬近辺ではないか、という話をしました。
”高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えて大気都比売(オオゲツヒメ)に食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。
スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。 これを神産巣日(カミムスヒ)御祖神が回収した。”
ここでオオゲツヒメが登場します。
オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれてますが、『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てきます。
”オオゲツヒメという名称は「大いなる食物の女神」の意味である。”
”殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。オオゲツヒメから生じるのが穀物であるのは、日本では穀物が主に栽培されていたためと考えられている。”(以上、Wikipedia「オオゲツヒメ」より)
このような神話は、ハイヌウェレ型神話と呼ばれます。有名なインドネシアのセラム島のウェマーレ族に伝わる話は、次のようなものです。
”ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”(Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)
オオゲツヒメ神話とよく似ていますね。芋栽培をする際に、芋をいくつかに切って埋めるとそこから芋が生えてくることからも、ハイヌウェレ型神話の源流は、南方の芋栽培文化と考えられます。それが長い年月を経て伝播して、オオゲツヒメ神話のような形に変化したと推測されます。
さて高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立ちます。
古事記では、出雲に直接降り立ったと記載していますが、日本書記の一書第四では、その途中、新羅に立ち寄ったとされています。
”高天原を追放されたスサノオは、”その子イソタケルをひきいて、新羅の国に降られて、曾尸茂梨(ソシモリ、ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私はいたくないのだ」と。ついで土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。”(「日本書紀」(宇治谷孟)より)
北部九州と朝鮮半島の間で交易があったことはたしかです。また朝鮮半島から海流に乗れば日本海沿岸にたどり着きますので、
高天原→新羅→出雲
という流れがあっても、おかしくありませんね。

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