古事記・日本書紀のなかの史実 (61) ~スサノオの系譜
スサノオは、クシナダヒメを娶り、子供を作ります。イナダヒメの他にも、カムオホイチヒメも娶り子供を作ります。古事記には、子孫の系譜が詳細に記載されています。そして最後に、オオクニヌシが登場します。

順にみていきましょう。
まずクシナダヒメとの間に生まれた子が、ヤシマジヌミですが、名義不詳とされます。
”名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられる
『古事記』において、八島士奴美神から遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる。
『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されている。”(Wikipedia「八島士奴美神」より)
ヤシマジヌミはよくわからない神です。名前からいって”多くの島々の支配者”ともとれます。なおここでいう「島」とは「ある領域」という意味です。
注目は、「先代旧事本紀」において、オオナムジとされていることです。オオナムジはオオクニヌシの別称とされていますが、なぜヤシマジヌミに同じオオナムジと呼ばれているのか、興味深いところですが、このテーマはのちほど・・・
次に、カムオホイチヒメとの間に生まれた子が、オホトシとウカノミタマです。
オホトシは「来訪神」「穀物神」「祖霊」ともいわれます。
”来訪神
毎年正月に各家にやってくる来訪神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。
穀物神
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。
信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。
また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。
祖霊
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。”(Wikipedia「年神」より)
日本の民間信仰において、たいへん重要な神様です。身近なところでは、正月にもらう「お歳玉」があります。これほど重要な神様が、スサノオの子とされているところが、示唆的です。
もう一人の子が、ウカノミタマです。日本書紀では、倉稲魂をウカノミタマと呼んでます。食物の神として知られます。
”伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。
『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられている。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。
また『日本書紀』には、神武天皇が戦場で祭祀をした際に、供物の干飯に厳稲魂女(いつのうかのめ)という神名をつけたとあり、本居宣長は『古事記伝』において、これをウカノミタマと同じとしている。
神道五部書
鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。
外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神(うけもちのかみ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。
記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる[7]。
また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている。”(「Wikipedia「ウカノミタマ」)
ウカノミタマも詳細は不明ながら、誰もが知っているお稲荷さんとして信仰されてます。ただしそれ以前は、御倉神、すなわち稲さらには食物の神とされてました。
いずれにしろ、伊勢神宮の内宮・外宮において祭られているというたいへん重要な神様です。オホトシカミとともに、この二神がスサノオの子とされているところが、注目です。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。
にほんブログ村


順にみていきましょう。
まずクシナダヒメとの間に生まれた子が、ヤシマジヌミですが、名義不詳とされます。
”名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられる
『古事記』において、八島士奴美神から遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる。
『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されている。”(Wikipedia「八島士奴美神」より)
ヤシマジヌミはよくわからない神です。名前からいって”多くの島々の支配者”ともとれます。なおここでいう「島」とは「ある領域」という意味です。
注目は、「先代旧事本紀」において、オオナムジとされていることです。オオナムジはオオクニヌシの別称とされていますが、なぜヤシマジヌミに同じオオナムジと呼ばれているのか、興味深いところですが、このテーマはのちほど・・・
次に、カムオホイチヒメとの間に生まれた子が、オホトシとウカノミタマです。
オホトシは「来訪神」「穀物神」「祖霊」ともいわれます。
”来訪神
毎年正月に各家にやってくる来訪神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。
穀物神
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。
信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。
また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。
祖霊
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。”(Wikipedia「年神」より)
日本の民間信仰において、たいへん重要な神様です。身近なところでは、正月にもらう「お歳玉」があります。これほど重要な神様が、スサノオの子とされているところが、示唆的です。
もう一人の子が、ウカノミタマです。日本書紀では、倉稲魂をウカノミタマと呼んでます。食物の神として知られます。
”伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。
『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられている。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。
また『日本書紀』には、神武天皇が戦場で祭祀をした際に、供物の干飯に厳稲魂女(いつのうかのめ)という神名をつけたとあり、本居宣長は『古事記伝』において、これをウカノミタマと同じとしている。
神道五部書
鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。
外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神(うけもちのかみ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。
記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる[7]。
また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている。”(「Wikipedia「ウカノミタマ」)
ウカノミタマも詳細は不明ながら、誰もが知っているお稲荷さんとして信仰されてます。ただしそれ以前は、御倉神、すなわち稲さらには食物の神とされてました。
いずれにしろ、伊勢神宮の内宮・外宮において祭られているというたいへん重要な神様です。オホトシカミとともに、この二神がスサノオの子とされているところが、注目です。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。


にほんブログ村

スポンサーサイト