古事記・日本書紀のなかの史実 (69) ~ アシハラシコヲ
オホナムチは、オホヤビコから言われたとおりに、木国からスサノオのもとに行きます。
”オホナムチは、オホヤビコのおっしゃるとおりに、スサノオのもとにやってきます。するとスサノオの娘のスセリヒメが出てきて、目と目を見合わせてそのまま結婚しました。
スセリヒメはスサノオのもとに戻ると、「とても麗しい神が来ました」とおっしゃいました。
スサノオが出てきて見ると「あれは葦原色許男(アシハラシコオ)という神だ」とおっしゃいまして、すぐにオホナムチを呼び入れて、蛇の部屋に寝かせました。”
オホナムチは、スサノオの娘スセリヒメと
”目と目を見合わせてそのまま結婚した”
とあります。
原文には「目合(まぐわい」とありますが、「まぐわい」とは男女の情交の意味もあります。古代は、性に関して現代では考えられないほど自由奔放だったという説もありますので、そういうことかもしれません。いずれにしろ出会ってすぐに結婚とは、さすが縁結びの神オオクニヌシです。
スサノオはオホナムチを見て
"あれは葦原色許男(アシハラシコオ)という神だ"
といいます。
ここで初めて物語のなかで「アシハラシコオ」が出てきます。
アシハラシコオですが、二つの解釈ができるという話を前にしました。
1.葦原色許男(古事記)
葦原中国の頑丈で強い男神(肯定的表現)
2.葦原醜男(日本書記)
葦原中国の醜い男神(否定的表現)
さてここではどういう意味でしょうか?
オホナムチを見たスセリヒメが
”とても麗しい神が来ました”
とスサノオにいったのに対して、スサノオが
”此は葦原色許男と謂ふぞ”
と言ったわけです。
単純に訳せば、
「これはアシハラシコオという神だぞ」
となります。
つまりスサノオはもともとオホナムチを知っていて、彼がアシハラシコオと呼ばれているのを知っていたようにとれます。
色許(シコ)は、他の人名でも肯定的に使われていることは前に紹介しましたが、詳しくみてみましょう。
”①頑強の意。②みにくい。いまいましい。
①は神代記に、イザナギが黄泉国においてイザナミの姿を見、驚いて逃げ帰る際、イザナミが「豫母都志許売(ヨモツシコメ)」を遣わしてイザナギを追わせたとある。
また、オホナムチが兄弟の八十神から逃れて根の堅州国を訪れたとき、麗しい神が来たと告げたスセリヒメに対して、父神であるスサノオ命が「此は葦原色許男(アシハラシコヲ)と謂ふぞ」と応えている。
オホナムチ即ちオオクニヌシの亦の名が葦原色許男(アシハラシコヲ)であり、葦原中国の頑強な男という意に解される。神代紀第八段一書第六にもオオクニヌシの亦の名として「葦原醜男」とある。葦原中国を支配する力に対して「しこ」という表現が用いられているとみられる。
また、ヨモツシコメはイザナギにとって異界である黄泉国に属する存在であり、アシハラシコヲは根之堅州国に坐すスサノオにとって、やはり異界である葦原中国の神であることから、「しこ」にはこの世ならぬ強力さを表す意があるとも考えられる。
②は万葉集に、恋の苦しみを忘れさせてくれるはずの忘れ草の効き目のないことを罵った「醜の醜草(鬼乃志許草)」(4-727、12-3062)や、鳴き声で橘の花を散らせてしまう「醜霍公鳥(しこほととぎす)」(8-1507)、逆に来て鳴いて欲しいときに来てくれない「醜霍公鳥」(10-1951)のほか、「小屋の醜屋」・「醜の醜手(鬼乃四忌手)」(13-3270)「媿士(しこを)」(16-3821)「醜つ翁」(17-4011)など、みにくい或いはいまいましい対象を罵倒する表現として見られる。
また、「醜の丈夫(鬼乃益卜雄)」(2-117)「醜の御楯」(20-4373)など、自己を卑下して用いる場合も認められる。この世ならぬ頑強さの表現であった「しこ」が、それに付随する恐ろしさなどから、みにくさやいまいましさなどの意へと転じたものか。”
(国学院大学デジタルミュージアム 「しこ、醜」より)
つまりもともとは異界の力強さを表す肯定的な表現であったものが、やがてみにくい、いまいましいなどの否定的表現に変わっていったようです。そうしたなかで日本書記で葦原醜男と表記されたのであり、同時に出雲の王であるオホナムチを貶めるためという意味合いもあったと推察されます。

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”オホナムチは、オホヤビコのおっしゃるとおりに、スサノオのもとにやってきます。するとスサノオの娘のスセリヒメが出てきて、目と目を見合わせてそのまま結婚しました。
スセリヒメはスサノオのもとに戻ると、「とても麗しい神が来ました」とおっしゃいました。
スサノオが出てきて見ると「あれは葦原色許男(アシハラシコオ)という神だ」とおっしゃいまして、すぐにオホナムチを呼び入れて、蛇の部屋に寝かせました。”
オホナムチは、スサノオの娘スセリヒメと
”目と目を見合わせてそのまま結婚した”
とあります。
原文には「目合(まぐわい」とありますが、「まぐわい」とは男女の情交の意味もあります。古代は、性に関して現代では考えられないほど自由奔放だったという説もありますので、そういうことかもしれません。いずれにしろ出会ってすぐに結婚とは、さすが縁結びの神オオクニヌシです。
スサノオはオホナムチを見て
"あれは葦原色許男(アシハラシコオ)という神だ"
といいます。
ここで初めて物語のなかで「アシハラシコオ」が出てきます。
アシハラシコオですが、二つの解釈ができるという話を前にしました。
1.葦原色許男(古事記)
葦原中国の頑丈で強い男神(肯定的表現)
2.葦原醜男(日本書記)
葦原中国の醜い男神(否定的表現)
さてここではどういう意味でしょうか?
オホナムチを見たスセリヒメが
”とても麗しい神が来ました”
とスサノオにいったのに対して、スサノオが
”此は葦原色許男と謂ふぞ”
と言ったわけです。
単純に訳せば、
「これはアシハラシコオという神だぞ」
となります。
つまりスサノオはもともとオホナムチを知っていて、彼がアシハラシコオと呼ばれているのを知っていたようにとれます。
色許(シコ)は、他の人名でも肯定的に使われていることは前に紹介しましたが、詳しくみてみましょう。
”①頑強の意。②みにくい。いまいましい。
①は神代記に、イザナギが黄泉国においてイザナミの姿を見、驚いて逃げ帰る際、イザナミが「豫母都志許売(ヨモツシコメ)」を遣わしてイザナギを追わせたとある。
また、オホナムチが兄弟の八十神から逃れて根の堅州国を訪れたとき、麗しい神が来たと告げたスセリヒメに対して、父神であるスサノオ命が「此は葦原色許男(アシハラシコヲ)と謂ふぞ」と応えている。
オホナムチ即ちオオクニヌシの亦の名が葦原色許男(アシハラシコヲ)であり、葦原中国の頑強な男という意に解される。神代紀第八段一書第六にもオオクニヌシの亦の名として「葦原醜男」とある。葦原中国を支配する力に対して「しこ」という表現が用いられているとみられる。
また、ヨモツシコメはイザナギにとって異界である黄泉国に属する存在であり、アシハラシコヲは根之堅州国に坐すスサノオにとって、やはり異界である葦原中国の神であることから、「しこ」にはこの世ならぬ強力さを表す意があるとも考えられる。
②は万葉集に、恋の苦しみを忘れさせてくれるはずの忘れ草の効き目のないことを罵った「醜の醜草(鬼乃志許草)」(4-727、12-3062)や、鳴き声で橘の花を散らせてしまう「醜霍公鳥(しこほととぎす)」(8-1507)、逆に来て鳴いて欲しいときに来てくれない「醜霍公鳥」(10-1951)のほか、「小屋の醜屋」・「醜の醜手(鬼乃四忌手)」(13-3270)「媿士(しこを)」(16-3821)「醜つ翁」(17-4011)など、みにくい或いはいまいましい対象を罵倒する表現として見られる。
また、「醜の丈夫(鬼乃益卜雄)」(2-117)「醜の御楯」(20-4373)など、自己を卑下して用いる場合も認められる。この世ならぬ頑強さの表現であった「しこ」が、それに付随する恐ろしさなどから、みにくさやいまいましさなどの意へと転じたものか。”
(国学院大学デジタルミュージアム 「しこ、醜」より)
つまりもともとは異界の力強さを表す肯定的な表現であったものが、やがてみにくい、いまいましいなどの否定的表現に変わっていったようです。そうしたなかで日本書記で葦原醜男と表記されたのであり、同時に出雲の王であるオホナムチを貶めるためという意味合いもあったと推察されます。

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