古事記・日本書紀のなかの史実 (74) ~ヌナカワヒメ
オホナムチすなわちオオクニヌシは、出雲の国を治めることに成功しました。
”ヤガミヒメは先の約束通りに結婚なさった。そして、そのヤガミヒメは、連れて来られたのだが、その本妻のスセリビメを恐れて、その生んだ子を木の俣に刺し挟んで帰っていった。そこでその子を名付けて木の俣(キノマタ)神と言い、またの名を御井(ミヰ)神と言う。”
オホナムチは、いなばの素兎に出てきたヤガミヒメを因幡国から連れてきて結婚します。ところが正妻のスセリヒメがこわくて、ヤガミヒメは因幡国に帰ってしまいます。ちなみにかつて因幡国には八上郡がありましたから、ここがヤガミヒメの出身とされていたことになります。
子の木の俣神はよくわからない神ですが、前にヤソガミから逃れるためにオホヤビコのいる木国へ行ったオホナムチが、オホヤビコに木の俣から逃してくれたことと関係あるかもしれません。一般的に木の神、水神、安産の神として崇敬されています。
ここから突然、オホナムチの名は八矛(ヤチホコ)神になり、高志(こし)国の沼河比売(ヌナカワヒメ)と結婚しようと向かいます。
まずヤチホコです。古事記でヤチホコという神名が登場するのは、このヌナカハヒメの家を訪ねるという場面と、倭国へ出発しようとするオホナムチに対して、妻であるスセリヒメが、行った先々で別の女性たちと親しくするのでしょうと嫉妬する場面においてです。
”ヤチホコは女神と艶っぽいやりとりをする神として登場しており、一見、色好みの存在という印象だけを与えているようであるが、どちらの記述でも、出雲から遠く離れた場所への言及があるという点が重要である。このように遠く離れた場所に行くのは、女性に会うためだけではないだろう。「多くの矛(を持つ者)」というのは、単に所持している武器を多さを示すものではなく、多くの戦いを繰り広げていることを示していると理解すべきであろう。”(古事記神話におけるオオクニヌシとウツシクニタマ」(岸根敏幸)より)
ようは、地方征服譚でもあるということです。かつては戦に敗れた支配者(支配者が男性の場合はその妻)は相手のものになるということがありましたから、その文脈で理解すれば、よくわかります。
そして矛の名のとおり、この話は、銅矛祭祀圏内の説話であることがわかります。
次に、ヤチホコが結婚しようとしたした高志(こし)国の沼河比売(ヌナカワヒメ)です。
”『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。
『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。
越後国頸城郡の式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。なお奴奈川神社の創建は、成務天皇の御代に市入命が沼河比売の子建沼河男命の後裔長比売命を娶って創建したと伝わる。
十日町市犬伏の松苧神社の縁起には、奴奈川姫が松と苧(カラムシ)を携えて南方からこの神社まで逃亡してきたことが伝えられている。
また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。
諏訪大社の下社にも八坂刀売神や建御名方神と共に祀られ、子宝・安産の神として信仰されている。
『万葉集』に詠まれた
「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳)
の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。”(Wikipedia「ヌナカワヒメ」より)
ヌナカワヒメは、新潟県糸魚川市の姫川流域を治めた女王であったようです。糸魚川といえば日本屈指のヒスイの産地ですから、ヒスイの女王であったともいえます。
興味深いのは、伝承で、子にタテミナカタの名があることです。
タテミナカタは、これから出てくる国譲り神話において登場します。タテミナカタは、アマテラスから国譲りの交渉に派遣された建御雷之男神(タケミカヅチノオ)と争いますが破れます。タケミカヅチノオはタテミナカタを追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとしますが、ついにタテミナカタが降参するというストーリーです。
以前、なぜ出雲で争ったのに、最終的にはるか遠くの長野まで、しかも山奥の諏訪まではるばる逃げたのか腑に落ちず、日本海を介した交流があったのか、という程度の認識でした。それにしても遠すぎますよね。
ところが、タテミナカタがヌナカワヒメの子であれば、姫川流域は実家の支配地です。
姫川を遡上すれば諏訪方面までたどり着けます。糸魚川静岡構造線に沿ったルートで、比較的平坦な地勢です。古代から重要な交通ルートであり、人の行き来がありましたから、俄然リアリティのある話になりますね。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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”ヤガミヒメは先の約束通りに結婚なさった。そして、そのヤガミヒメは、連れて来られたのだが、その本妻のスセリビメを恐れて、その生んだ子を木の俣に刺し挟んで帰っていった。そこでその子を名付けて木の俣(キノマタ)神と言い、またの名を御井(ミヰ)神と言う。”
オホナムチは、いなばの素兎に出てきたヤガミヒメを因幡国から連れてきて結婚します。ところが正妻のスセリヒメがこわくて、ヤガミヒメは因幡国に帰ってしまいます。ちなみにかつて因幡国には八上郡がありましたから、ここがヤガミヒメの出身とされていたことになります。
子の木の俣神はよくわからない神ですが、前にヤソガミから逃れるためにオホヤビコのいる木国へ行ったオホナムチが、オホヤビコに木の俣から逃してくれたことと関係あるかもしれません。一般的に木の神、水神、安産の神として崇敬されています。
ここから突然、オホナムチの名は八矛(ヤチホコ)神になり、高志(こし)国の沼河比売(ヌナカワヒメ)と結婚しようと向かいます。
まずヤチホコです。古事記でヤチホコという神名が登場するのは、このヌナカハヒメの家を訪ねるという場面と、倭国へ出発しようとするオホナムチに対して、妻であるスセリヒメが、行った先々で別の女性たちと親しくするのでしょうと嫉妬する場面においてです。
”ヤチホコは女神と艶っぽいやりとりをする神として登場しており、一見、色好みの存在という印象だけを与えているようであるが、どちらの記述でも、出雲から遠く離れた場所への言及があるという点が重要である。このように遠く離れた場所に行くのは、女性に会うためだけではないだろう。「多くの矛(を持つ者)」というのは、単に所持している武器を多さを示すものではなく、多くの戦いを繰り広げていることを示していると理解すべきであろう。”(古事記神話におけるオオクニヌシとウツシクニタマ」(岸根敏幸)より)
ようは、地方征服譚でもあるということです。かつては戦に敗れた支配者(支配者が男性の場合はその妻)は相手のものになるということがありましたから、その文脈で理解すれば、よくわかります。
そして矛の名のとおり、この話は、銅矛祭祀圏内の説話であることがわかります。
次に、ヤチホコが結婚しようとしたした高志(こし)国の沼河比売(ヌナカワヒメ)です。
”『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でも建御名方神の母を沼河比売とする。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。
『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。
越後国頸城郡の式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。なお奴奈川神社の創建は、成務天皇の御代に市入命が沼河比売の子建沼河男命の後裔長比売命を娶って創建したと伝わる。
十日町市犬伏の松苧神社の縁起には、奴奈川姫が松と苧(カラムシ)を携えて南方からこの神社まで逃亡してきたことが伝えられている。
また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。
諏訪大社の下社にも八坂刀売神や建御名方神と共に祀られ、子宝・安産の神として信仰されている。
『万葉集』に詠まれた
「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳)
の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。”(Wikipedia「ヌナカワヒメ」より)
ヌナカワヒメは、新潟県糸魚川市の姫川流域を治めた女王であったようです。糸魚川といえば日本屈指のヒスイの産地ですから、ヒスイの女王であったともいえます。
興味深いのは、伝承で、子にタテミナカタの名があることです。
タテミナカタは、これから出てくる国譲り神話において登場します。タテミナカタは、アマテラスから国譲りの交渉に派遣された建御雷之男神(タケミカヅチノオ)と争いますが破れます。タケミカヅチノオはタテミナカタを追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとしますが、ついにタテミナカタが降参するというストーリーです。
以前、なぜ出雲で争ったのに、最終的にはるか遠くの長野まで、しかも山奥の諏訪まではるばる逃げたのか腑に落ちず、日本海を介した交流があったのか、という程度の認識でした。それにしても遠すぎますよね。
ところが、タテミナカタがヌナカワヒメの子であれば、姫川流域は実家の支配地です。
姫川を遡上すれば諏訪方面までたどり着けます。糸魚川静岡構造線に沿ったルートで、比較的平坦な地勢です。古代から重要な交通ルートであり、人の行き来がありましたから、俄然リアリティのある話になりますね。

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