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古事記・日本書紀のなかの史実 (77) ~スセリヒメの歌


スセリヒメは、杯を取って、馬に乗ろうとしている夫のもとへ近づき、その酒杯を捧げながら歌います。

”ヤチホコの名前を持つ、尊い神の命、
国々をしろしめすいとしいオオクニヌシノ命よ。
あなたは強い男でいらっしゃるゆえ、
渡りゆく島という島、巡りゆく岬ごとに、
萌え出でる若草よりも、なよやかな妻を、
御心のままにお持ちになることもできるでしょうが。


この私は、哀れな女の身でございますから、
あなたを措(お)いて男というものはなく、
あなたを措いて夫というものはございません。

どうかお出かけにならないで、
寝屋(ねや)の隔てに垂れた色美しい綾垣(あやがき)が、
風もないのにゆらゆらと靡(なび)く下に、
絹の衾(ふすま)のここちよい肌ざわりの中で、
栲(たく)の皮の緒綱のように白い腕で、
抱きしめて抱きしめて、
玉のようなあなたの手と、玉のような私の手とを、
互いに取り合い枕として、足を長くうち延ばして、
ゆっくりとお寝(やす)みになってくださいませ。
豊御酒(とよみき)をひとつ召し上がってくださいませ。“

このように后(きさき)が歌ったので、オオクニヌシもすっかり機嫌を直し、酒杯(さかづき)を取り交わして、末長く心の変わらぬ変わらぬことを誓ううきゆいをなした。そして互いのうなじに手を懸け合って、今にいたるまで出雲の国にとどまり住んでいる。これを神歌(かむがたり)という。

旅立つ夫を見送る寂しげな心情が切ないまでに伝わってきます。そしてここで旅の目的がはっきりとしました。妻問い、あるいはすでに妻となっている女性のもとへ通うためです。

注目は、“渡りゆく島という島、巡りゆく岬ごとに”という表現です。ここから、オオクニヌシの通うルートは、舟を使った海沿いであることがわかります。そうなると出雲を中心とした海沿いのルートとなりますから、日本海の西側沿いの国々を巡ることになります。ヌナカワヒメの住む国はこの条件に合います。一方、大和地方は内陸ですから、この条件に合いません。このことからも、倭国は大和地方でないことが明白です。

それにしても、こんなに気の多いオオクニヌシを、なぜスセリヒメは許しているのでしょうか。
もちろんオオクニヌシのことを深く愛しているからということでしょう。しかしながらそれ以上にあるのは、オオクニヌシは単に、浮気のためだけに各地に妻をもっているのではない、ということです。

つまりこの一連の話は、各地の征服譚であるということです。このようにして各地を支配するのが当時は一般的であったということでしょう。あるいは征服とまではいかないまでも、各地の支配者たちと婚姻関係をもち、安定を図るという戦略的な意味があったはずです。後世になりますが、戦国時代において、各地の豪族が自分の子供を敵対する国の豪族の子供と結婚させたことと同じですね。

このような必要に迫られていたから、スセリヒメも致し方ないとあきらめていた、ということではないでしょうか。なんとも切ない気はしますが・・・。

ところでオオクニヌシとスセリヒメが住んだとされる場所ですが、前に宇賀の山のふもとが出てきました。実は候補地はほかにもあります。島根県出雲市東神西町にある那賣佐(なめさ)神社です。

”御祭神 葦原醜男命、須勢理姫命

 大国主命の又の名を葦原醜男命と申し上げ その后神は須佐之男命の御子でこの里の岩坪 で生誕せられたという須勢理姫命であります。
 紀元七三三年天平五年に編纂された出雲国 風土記によれば御祭神御夫婦が仲睦しく岩坪 の宮殿でお暮しになっていたとき、或る日社前 の渓流が岩苔の上をなめらかに流れているの をご覧になって「滑し磐石なるかも」と仰せ られた「まねしいわ」「が約って「なめさ」と なり、この地方を滑狹郷と称するようになっ た記録があります。
 又これより約二百年後の、延喜式神名帳に当 社は神祇官に登録してある神門郡二十七座の 内にあり、これを式内社といいます。
 享保年間の雲陽誌んいは高倉明神とあり高倉 山に鎮座せられているところから通称「高倉 さん」とも称し、明治五年には社格郷社に列 せられるなど洵に由緒深い神社であります。(社前の案内板より)

『出雲国風土記』神門郡滑狭郷(なめさのさと)条に、所造天下大神(=大国主)が和加須世理比売命(=スセリビメ)のところへ妻問いに行ったときに、社の前に磐石があり、表面が滑らかだったことから大神が「滑磐石(なめしいわ)なるかも」と言い、それが郷名の由来となったという説話が記載されている。
この説話に登場する「滑磐石」に比定されるのが現社地の近くを流れる九景川(十間川水系)の渓谷にある甌穴「岩坪」である。この付近に旧社地があると考えられ、近くには岩坪明神の祠が置かれている。
岩坪は祭神の須勢理姫命が生誕時に産湯を使ったという地元の伝承がある。”(Wikipedia「那売佐神社」より)


那売佐神社位置
那売佐神社
古事記では、スセリヒメは、父スサノオとともに根の堅州国に住んでいたことになってます。ところが地元の伝承では、このあたりで生まれたことになります。となると、ここが根の堅州国ということになりますが・・

宇賀の山と
那売佐神社、どちらがオオクニヌシとスセリヒメが住んだ宮殿なのでしょうか? 宮殿を移動したのか、もともとの伝承が伝搬したのか、あるいは後世に創作された話なのか、なんともいえないところです。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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