古事記・日本書紀のなかの史実 (78) ~オオクニヌシの子孫
オオクニヌシとスセリヒメは、末長く心の変わらぬ変わらぬことを誓い合いました。
さてここから、オオクニヌシが娶った神々とその子孫についての記載が続きます。たいへん複雑なので、系図でまとめます。ここではタキリヒメ以下の系譜を記載しているのですが、わかりやすくするために、これまでに出てきたヤガミヒメ、スセリヒメ、ヌナカワヒメも掲載しました。なお縦置きだと字が小さくなり見にくいので、横置きにしてます。

系譜説明の冒頭に、
”故、此の大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘賣命を娶して生める子は・・・”
とあります。
倭国に旅立ち、妻問いした相手の一番はタキリヒメだったことをうかがわせる表現となってます。タキリヒメは北部九州宗像の沖ノ島に祀られている神です。このことからも、倭国は北部九州と考えるのが自然ですね。
タキリヒメとの子であるアジスキタカヒコネは雷神で、スキは雷神と密接な関係にあります(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)P105より)。
”『古事記』では、葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの兄で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。
『出雲国風土記』によれば、幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので、静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけそれを上り下りさせたりした。天御梶日女(アメノミカジヒメ)との間に雨の神である多伎都比古(タキツヒコ)をもうけたとしている。”(Wikipedia「アヂスキタカヒコネ」より)
同じくタキリヒメとの子にシタテルヒメがいます。本名を高比売(タカヒメ)命といいます。アジスキタカヒコネとともに、これから国譲りの段で登場します。
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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さてここから、オオクニヌシが娶った神々とその子孫についての記載が続きます。たいへん複雑なので、系図でまとめます。ここではタキリヒメ以下の系譜を記載しているのですが、わかりやすくするために、これまでに出てきたヤガミヒメ、スセリヒメ、ヌナカワヒメも掲載しました。なお縦置きだと字が小さくなり見にくいので、横置きにしてます。

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”故、此の大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘賣命を娶して生める子は・・・”
とあります。
倭国に旅立ち、妻問いした相手の一番はタキリヒメだったことをうかがわせる表現となってます。タキリヒメは北部九州宗像の沖ノ島に祀られている神です。このことからも、倭国は北部九州と考えるのが自然ですね。
タキリヒメとの子であるアジスキタカヒコネは雷神で、スキは雷神と密接な関係にあります(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)P105より)。
”『古事記』では、葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの兄で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。
『出雲国風土記』によれば、幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので、静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけそれを上り下りさせたりした。天御梶日女(アメノミカジヒメ)との間に雨の神である多伎都比古(タキツヒコ)をもうけたとしている。”(Wikipedia「アヂスキタカヒコネ」より)
同じくタキリヒメとの子にシタテルヒメがいます。本名を高比売(タカヒメ)命といいます。アジスキタカヒコネとともに、これから国譲りの段で登場します。
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