新唐書日本伝を読む その3 ~ 謎の多い古代天皇の系譜
天皇の系譜が続きます。
【現代訳】
その次は応神、その次は仁徳、その次は履中(りちゅう)、その次は反正(はんぜい)、その次は允恭(いんぎょう)、その次は安康(あんこう)、その次は雄略(ゆうりゃく)、その次は清寧(せいねい)、その次は顕宗(けんぞう)、その次は仁賢(にんけん)、その次は武烈(ぶれつ)、その次は継体(けいたい)、その次は安閑(あんかん)、その次は宣化(せんか)、その次は欽明(きんめい)である。欽明の十一年は、梁(りょう)の承聖(しょうせい)元年(552年)にあたる。
その次は海達(かいたつ)、その次の用明はまた目多利子比孤(めたりしほこ)ともいい、隋の開皇(かいこう)(581年-600年)末にあたる。このときはじめて中国と国交を通じた。その次は崇峻(すしゅん)である。崇峻が死ぬと、欽明の孫娘の雄古(ゆうこ)が王位を継いだ。その次は舒明(じょめい)、その次は皇極(こうぎょく)である。
【解説】
さらに歴代天皇の名前が続きます。天皇の系譜は、次のとおりです。
さりげなく系譜が続いてますが、この系譜については、多くの研究者から疑問が持たれています。
例えば、25代の武烈から26代の継体の間です。武烈は、日本書紀に残酷無比の人物に描かれていますが、子供がないまま亡くなります。跡継ぎがいなかったため、応神天皇の五世孫とされる継体を越前国に探し出し、天皇として迎えたとされます。
その話に無理があるため、継体は、本当は天皇の系譜でない人だったのではないか、と言われるわけです。
よくよく考えてみれば、武烈に子供がいなかったとしても、何も五代も遡らなくとも、血縁者はいくらでもいたはずです。それをわざわざ五代も遡り、しかも越前の国から呼び寄せるのは不自然です。さらに最終的に大和に入るのに20年もかかっており、それもへんです。
となると、この話には何か別の意味があったのでは、と考えられます。つまり、継体による権力奪取を正当化するための作り話ではないか?という疑問です。
また、特に武烈が暴虐に描かれていますが、注意が必要です。なぜ正当な天皇を、そこまで貶める必要があったのか?。権力奪取を正当化するために、「前の天皇は、こんなにひどい人でした。」と宣伝するためだったのではないか?、という疑いです。
この系譜は、一般的に言われているものですが、古事記、日本書紀のなかには、矛盾のある記載もあり、ひとつには確定できません。
その他、字の誤りなどおかしいと思われる記載もありますが、ここではスルーします。
【現代訳】
日本国人の風俗は、槌型(つちがた)の髷(まげ)を結い、冠や帯は着用せず、はだしで歩き、ひと幅の布で身体の後部を蔽(おお)っている。身分の高い者は錦のかづきをかぶっている。婦人は模様のない無地のスカート、長い襦袢を着用し、髪は頭のうしろで結っている。
隋の煬帝のとき(604-617年)に煬帝は使者を遣わして日本の役人に錦綫冠(きんせんかん)を賜り、その冠を金の玉でかざり、模様織りの布で衣服をつくり、左右の腰に長さ八寸の銀の花飾りを下げ、そのかざりの数によって、身分の高低が明らかになるようにさせた。
唐の太宗(たいそう)の貞観(じょうがん)五年(631年)、日本国は使者を派遣して唐に入朝させた。太宗は、日本からの距離が遠いのに同情し、役人に命じて、無理に毎年朝貢しなくともよいようにとりはからわせた。また新州刺史(しんしゅうしし)の高仁表(こうじんひょう)を遣わし、日本国王に勅諭(ちょくゆ)を伝えさせようとしたが、高仁表は日本国王と儀礼の問題でいさかいを起こして立腹し、天子の命を読み上げることを拒否して国へもどった。しばらくして、日本はあらためて新羅の使者に託して上奏文を送呈してきた。
【解説】
このあたりの記載は、これまでに書かれた旧唐書倭国伝と日本国伝にあるものとほぼ同じです。
隋の煬帝が日本の役人に錦綫冠(きんせんかん)を賜った話は、初出です。また、旧唐書倭国伝に、ほぼ同じ内容で
「 婦人は無地のスカートをはき、丈の長い襦袢を着、髪はうしろで束ね、長さ八寸の銀製の花を腰の左右に二、三本ずつ下げ、それによって身分の高下の等級を表している。」
との記載がありました。これは役人の話ではありませんが、身分の等級を表すやり方は、隋の煬帝の指示だったことがここでわかります。
いずれにしろ、新唐書日本伝の記載は、これまでの倭国伝と日本国伝の両方から取り込んでいると思われます。
参考までに、当時の貴婦人の様子が描かれている高松塚古墳壁画を再掲します。ここでの記載と多少違いはありますが、雰囲気はつかめるかと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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その次は応神、その次は仁徳、その次は履中(りちゅう)、その次は反正(はんぜい)、その次は允恭(いんぎょう)、その次は安康(あんこう)、その次は雄略(ゆうりゃく)、その次は清寧(せいねい)、その次は顕宗(けんぞう)、その次は仁賢(にんけん)、その次は武烈(ぶれつ)、その次は継体(けいたい)、その次は安閑(あんかん)、その次は宣化(せんか)、その次は欽明(きんめい)である。欽明の十一年は、梁(りょう)の承聖(しょうせい)元年(552年)にあたる。
その次は海達(かいたつ)、その次の用明はまた目多利子比孤(めたりしほこ)ともいい、隋の開皇(かいこう)(581年-600年)末にあたる。このときはじめて中国と国交を通じた。その次は崇峻(すしゅん)である。崇峻が死ぬと、欽明の孫娘の雄古(ゆうこ)が王位を継いだ。その次は舒明(じょめい)、その次は皇極(こうぎょく)である。
【解説】
さらに歴代天皇の名前が続きます。天皇の系譜は、次のとおりです。


さりげなく系譜が続いてますが、この系譜については、多くの研究者から疑問が持たれています。
例えば、25代の武烈から26代の継体の間です。武烈は、日本書紀に残酷無比の人物に描かれていますが、子供がないまま亡くなります。跡継ぎがいなかったため、応神天皇の五世孫とされる継体を越前国に探し出し、天皇として迎えたとされます。
その話に無理があるため、継体は、本当は天皇の系譜でない人だったのではないか、と言われるわけです。
よくよく考えてみれば、武烈に子供がいなかったとしても、何も五代も遡らなくとも、血縁者はいくらでもいたはずです。それをわざわざ五代も遡り、しかも越前の国から呼び寄せるのは不自然です。さらに最終的に大和に入るのに20年もかかっており、それもへんです。
となると、この話には何か別の意味があったのでは、と考えられます。つまり、継体による権力奪取を正当化するための作り話ではないか?という疑問です。
また、特に武烈が暴虐に描かれていますが、注意が必要です。なぜ正当な天皇を、そこまで貶める必要があったのか?。権力奪取を正当化するために、「前の天皇は、こんなにひどい人でした。」と宣伝するためだったのではないか?、という疑いです。
この系譜は、一般的に言われているものですが、古事記、日本書紀のなかには、矛盾のある記載もあり、ひとつには確定できません。
その他、字の誤りなどおかしいと思われる記載もありますが、ここではスルーします。
【現代訳】
日本国人の風俗は、槌型(つちがた)の髷(まげ)を結い、冠や帯は着用せず、はだしで歩き、ひと幅の布で身体の後部を蔽(おお)っている。身分の高い者は錦のかづきをかぶっている。婦人は模様のない無地のスカート、長い襦袢を着用し、髪は頭のうしろで結っている。
隋の煬帝のとき(604-617年)に煬帝は使者を遣わして日本の役人に錦綫冠(きんせんかん)を賜り、その冠を金の玉でかざり、模様織りの布で衣服をつくり、左右の腰に長さ八寸の銀の花飾りを下げ、そのかざりの数によって、身分の高低が明らかになるようにさせた。
唐の太宗(たいそう)の貞観(じょうがん)五年(631年)、日本国は使者を派遣して唐に入朝させた。太宗は、日本からの距離が遠いのに同情し、役人に命じて、無理に毎年朝貢しなくともよいようにとりはからわせた。また新州刺史(しんしゅうしし)の高仁表(こうじんひょう)を遣わし、日本国王に勅諭(ちょくゆ)を伝えさせようとしたが、高仁表は日本国王と儀礼の問題でいさかいを起こして立腹し、天子の命を読み上げることを拒否して国へもどった。しばらくして、日本はあらためて新羅の使者に託して上奏文を送呈してきた。
【解説】
このあたりの記載は、これまでに書かれた旧唐書倭国伝と日本国伝にあるものとほぼ同じです。
隋の煬帝が日本の役人に錦綫冠(きんせんかん)を賜った話は、初出です。また、旧唐書倭国伝に、ほぼ同じ内容で
「 婦人は無地のスカートをはき、丈の長い襦袢を着、髪はうしろで束ね、長さ八寸の銀製の花を腰の左右に二、三本ずつ下げ、それによって身分の高下の等級を表している。」
との記載がありました。これは役人の話ではありませんが、身分の等級を表すやり方は、隋の煬帝の指示だったことがここでわかります。
いずれにしろ、新唐書日本伝の記載は、これまでの倭国伝と日本国伝の両方から取り込んでいると思われます。
参考までに、当時の貴婦人の様子が描かれている高松塚古墳壁画を再掲します。ここでの記載と多少違いはありますが、雰囲気はつかめるかと思います。

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