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古事記・日本書紀のなかの史実 (84) ~ 大山と大神山神社

前回は、”オオモノヌシが自分を倭の東の山に祀れ、これは御緒山である”の「倭」とは、出雲の大国村の倭ではないか、という話でした。そして、倭の東にある「御緒山」とは、大山(だいせん)のことではないか、というところまででした。

大山には、大神山神社があります。


大神山とは神社が鎮座する「大山(だいせん)」の古い呼び名です。
大山が文献に登場する最初の書物は、八世紀(奈良時代)前半に編纂された「出雲国風土記」で、国引きの条の中に「國に固堅め立てし加志は、伯耆国なる大神岳是なり」と国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭として、伯耆国の「大神岳(火神岳)」として出てきます。ちなみに今のように大山と呼ばれるようになったのは平安期以降と思われます。

主祭神の大己貴命は大山を根拠地として国土経営の計画をお立てになりました。「神祗志料」左比売山神社の条には「云々、昔大己貴命、少名彦名命、須勢理姫命、伯耆国大神山に御坐、出雲國由来郷に来坐して云々」と書かれており、大山の山頂に立って雲の上から草昧の国土を見下ろし国見をされて国造りを相談なされたと伝えています。”(大神山神社HPより)

大神山とは、大山のことです。大神山神社の祭神は、大己貴命(オホナムチ)すなわちオオクニヌシで、大山にて国造りをしたと伝わってます。

「神祗志料(じんぎしりょう)」とは
”《大日本史》のうちの〈神祇志〉編纂準備のため記された書。17巻。1873年成立。栗田寛(1835‐99)著。彰考館所蔵の《日本書紀》以下500余部の諸書にあたって記した書。”(世界大百科事典 第2版より)

明治初期の編纂でありますが、このような伝承があったからこそ、そのように書かれたわけです。

大神山神社のご神体は大山ですから、大山にオオクニヌシが鎮座していることになります。このことからも、
大山は古事記の「自分を御緒山に祀れ」という御緒山に合致していることがわかります。

大山・大神山神社
もちろん古事記の話を元に、のちにこの地で伝承が創作されたのだ、という見方もできないことはありません。しかしながら前回お話しした赤猪岩神社はじめ、オオクニヌシにまつわるところが数多くあることを鑑みれば、もともとあった伝承を古事記がまとめたと考えるのが自然でしょう。

ではなぜ日本書紀では、御諸山を「ヤマトの三輪山」としたのでしょうか?
それは、後世になり出雲の信仰がヤマトに持ち込まれ、またヤマトの地が日本の中心となっていくなかで、伝承が変わっていったためと考えらます。

ヤマトの三輪山にあるのが大神(おおみわ)神社です。
大神神社のご神体は三輪山で、山をご神体とするところは、大山と大神山神社の関係と同じです。
また「大神」と書いてなぜか「おおみわ」と読みます。大神神社大神山神社、表記がよく似ているのも単なる偶然とは思えないほどです。

さて、あなたはどう考えますか?

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テーマ : 歴史
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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