古事記・日本書紀のなかの史実 (92) ~『出雲古事記』は存在したか?
古田武彦氏は、出雲にも古事記・日本書紀同様に史書があったのではないか、と推測しています。その全体像について、次のように述べています。
”(1)大国の神々の神統譜
(2)「大国」に伝承された、八つの説話
(3)「大国」を中心とした「政治地図」
この三つを備えていたことは確実である。この三つは、すなわち『記・紀』の神代巻の構造に酷似している。そこでも、神統譜と神々の説話と「大八州国」の政治地図の三者がそなえられていた。
だから、わたしはこの出雲の史書の”失われた書名”の代わりに、かりに「出雲古事記」(あるいは「大国古事記」)という名前を付しておこうと思う。この書は、漢文調の「日本旧記」とは異なり、素朴な和文調の史書であったこと、八つの説話によって明らかなのである。”
まず(3)の「大国を中心とした政治地図」と(1)の大国の神々の神統譜についてです。
”「大国中心政治地図」の古さは、当然であろう。
なぜなら、一方の九州王朝の場合、天照(アマテラス)大神は実際上、ほぼ始源的位置に近い。その父祖なるイザナギ・イザナミ神が「国生み」の始祖なのである。
出雲の神の場合、大国主が天照と同時代だ(天照の子の夫である)。ところが、この「出雲神統譜」は、いわば「天照以前」の系譜なのだ。
これに対して、あるいは論者はいうかもしれぬ。”『記・紀』でも、イザナギ・イザナミ以前の神統譜があるではにか? すなわち、天之御中主(アメノミカヌシ)神以後の神々だ。『古事記』では五柱の「別天神」と「神代七代」の神々があるではないか?”と。”
神名が多数出てきてややこしくなってきました。次の図は、古事記・日本書紀の「別天神」と「神代七代」を整理したものです(縦置きにしてます)。詳細は、シリーズ第七巻『図とデータで解き明かす 日本古代史謎7 古事記・日本書紀のなかの史実① 天地開闢からアマテラス誕生まで』を参照ください。
古事記において、アマテラスの父神であるイザナギ以前に、アメノミカヌシから始まる別天神と神代七代があるのがわかります。

この主張に対して、”五柱の「別天神」と「神代七代」は、あとからつけ加えられた名前だ。”としています。
その論拠としては、以下を挙げています。
1.高ミムスビ・ムスビを除いて、すべて抽象的な神名だ。
2.この神々についての事績は全くない。
3.こういう指摘は今までにも、多くなされてきた。
さらに、あとからつけ加えられたことを明白に証明するものとして、
1.高ミムスビ(高木神)が天照といつも一体になって活躍している。天孫降臨のときも、この両者共同の発議だった。
2.天照の息子と高木神の娘が結婚してニニギたちが生まれた。両者は、いわば「同世代」。
ことから、時代が合っていないことを挙げています。
以上から、
”高木神と天照との間の数多くの神々(『古事記』の場合はことに)は、”後代の挿入部”であること、これを疑うことはできない。
これに対し、「出雲神統譜」を比べると、大国主神以前の五代でも、机の上で一気に作ったような概念の神ではない、一つ一つ個性のある人名のような趣をもつ、本来の固有名詞の神名なのである。
してみると『記・紀』では、高木神・天照の時期が始源期なのに対し、「大国」ではすでにそれは六代目ころにあたっていた。 ー この新旧の落差を疑うことはできない。”(「盗まれた神話」(古田武彦)P 407- 409)
以上を元に、出雲の系譜を復元すると次の図のようになります(縦置きにしています)。

なお古田氏は、高木(タカムスヒ)神からアマテラスの「間の」神々が挿入された、していますが、それではタカムスヒはアマテラスの祖先となっていまい、アマテラスの息子の義父としての高木(タカムスヒ)神と、矛盾してしまいます。
そうではなく、高木(タカムスヒ)神がアマテラスの祖先となるように、つまり皇祖神となるように、高木(タカムスヒ)神らを系譜のもっとも上に据えたのではないか、と考えるほうが自然です。そうすれば、アマテラスの息子の義父としての高木(タカムスヒ)神との矛盾も説明できます。詳細はシリーズ第七巻を参照ください。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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