古事記・日本書紀のなかの史実 (93) ~ 出雲に『天地開闢神話』はあったか?
古田武彦氏は、出雲にも史書に類する書があったのではないかとして、それを「出雲古事記」あるいは「大国古事記」と名付けています。そこには、
1.神統譜(神々の系譜)
2.神々の説話
3.政治地図
があったはずだ、と推測しているわけですが、さらにここで興味深い論を展開しています。
ひとつは、”その史書には、古事記と同じように「天地開闢の神話」もあったはずだ。ところがそれは完全にカットされ、わたしたちはこれを知ることができない。”というものです。
なぜカットされたのか、それは古事記・日本書紀の天地開闢神話と両立できないからだ、と述べています。なぜ両立できないかといえば、出雲の天地開闢神話は、古事記・日本書紀の天地開闢神話とは全く別個のものであったはずだからです。天地開闢神話が、同じ史書のなかにいくつもあってはおかしいですよね。
カットされた天地開闢神話がどのようなものであったのか、今では知るよしもありませんが、その片鱗を、「国引き神話」で伺うことができます。「国引き神話」とは、
”当初、作られた出雲国は「八束水臣津野(ヤツカミズオミツヌ)命」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島であるという。”(WIkipedia「国引き神話」より)
国引き神話については、前に門脇禎二氏の論説を紹介しました。「古代日本の『地域王国』と『ヤマト王国』」からです。
”「出雲国風土記」の残る神話には、「天の下造らしし大神(=オオナモチ神・大穴持神・大己貴命)」、つまり天下を造った神様と、国造りの神(=オミズヌ神)の二つが対になっている。
古事記・日本書紀の出雲神話ではオオナモチ神は「国つ神」、つまり一地方神にすぎない。一方、出雲を中心とした日本海域では、天下造りの神になっている。
古事記・日本書紀のいわゆる高天原神話とは別に、天下を造った神様と国を造った神様とをセットにした体系をもつ神話を伝えていたのがわかるのは、出雲だけである。(P20)
語部は、けっして民衆やその他の一般の人々に語りかけるものではなく、つねに支配者に語り上げる。地域にあっては地域の王のために、ヤマト王国の支配にはいれば、その大王のために語り上げるという任務をもっていた。(P43)
出雲の神々は「記」「紀」神話のなかでは、二重三重に変えられてしまっている。(P47)”
門脇氏は、出雲の神話は、
・オオクニヌシ = 天下を造った神
・オミズヌ = 国造りの神
がセットになっている、としたうえで、 それがヤマト王権の支配下に入った際に、ヤマトの王に語り上げるものに書き換えられた、というわけです。
ちなみにオミズヌは、古事記の系譜ではスサノオの四世孫(オオクニヌシは六世孫)となっています。出雲の国造りの神(オミズヌ)ををスサノオの系譜に入れることにより、皇統の傍系として組み込まれたともいえます。

国引き神話は天地開闢神話ではないですが、古事記・日本書紀のイザナギ・イザナミの国生みに匹敵する神話です。あまりにも有名な神話ですが、、古事記・日本書紀には記載されていないのです。それが謎なわけですが、これを古事記・日本書紀に記載してしまっては、イザナギ・イザナミの国生みとの整合がとれなくなってしまいます。だからカットされた可能性があります。
同じように、天地開闢神話についても、出雲には存在したのにカットされた可能性は、充分にありますね。
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