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古事記・日本書紀のなかの史実 (98) ~「出雲王朝」を立証するもの

 前回までで、出雲には「出雲王朝」なるものがあり、彼らは
1.神統譜(神々の系譜)
2.神々の説話
3.政治地図
をもっていたという話でした。
以上は、主として古事記・日本書紀などの文献から導きだされたものです。では、科学的にこうしたことを立証できるものはあるのでしょうか?

今回は、こうした視点でみてみましょう。

出雲といえば、古来より「神話の国」として知られていましたが、それはあくまで「神話」の世界であって、現実世界の話ではない、というのが長らくの通説でした。ところがこれをひっくり返す衝撃的な遺跡が発掘されました。それは荒神谷(こうじんたに)遺跡です。

”1984年 - 1985年(昭和59-昭和60年)の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。
銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった。製作時期は、弥生時代前期末から中期中頃の間と考えられている。”(Wikipedia「荒神谷遺跡」より)


荒神谷遺跡

さらにその2年後、約3km離れた加茂岩倉遺跡から、大発見がありました。


”1996年(平成8年)より1997年(平成9年)の2年間にわたり、加茂町教育委員会と島根県教育委員会により発掘調査が行われた。その結果、一か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された。これまで一ヶ所の出土例で最多だった滋賀県野洲町大岩山遺跡における24個の出土例を大きく更新した。”(Wikipedia「加茂岩倉遺跡」より)

加茂岩倉遺跡時期としては、弥生時代前期末から中期中間のころですから、私が天孫降臨・国譲りの推定をしている時期と、ほぼ重なります。少なくともこの時代に、出雲に当時日本列島最大級の巨大勢力があったことは確実です。これらの発見により、古代史学会もこれまでの通説を大きく見直さざるをえなくなりました。論壇でも「古代出雲王朝」なるワードが、登場するようになりました。

さらにその後、出雲大社においても、大発見がありました。

”2000年(平成12年)、同大社境内での地下祭礼準備室の建設が行われるにあたり発掘調査が行われ、巨大な柱3本を鉄の帯板で束ねて1本にした、宇豆柱と見られる巨大柱の遺構が発見された。出土遺物から、12世紀から13世紀ごろ(平安時代末から鎌倉時代)の本殿と考えられている。”(Wikipedia「出雲大社境内遺跡」より)

出雲大社柱遺跡

これの何がすごかったについては、次の解説をご覧ください。

”昔の出雲大社の本殿(ほんでん)は、今よりかなり高い巨大な神殿だったという伝説がありました。平安(へいあん)時代の「口遊(くちずさみ)」という本のなかには、「雲太(うんた)・和二(わに)・京三(きょうさん)」という言葉があります。これは、日本の建物では、出雲大社の本殿が1番大きく、東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)(大和(やまと))が2番、平安京大極殿(へいあんきょうだいごくでん)(京都)が3番という意味です。

 では、どれくらいの高さだったのでしょう。出雲大社には、上古(じょうこ)には32丈(約97メートル)、中古(ちゅうこ)には16丈(約48メートル)という言い伝えがあります。出雲ドーム(47メートル)よりも高い、巨大神殿だったようです。高すぎるので、何回も倒れたという記録が残っているくらいです。
 そんなに高かったと、なぜ言えるのでしょうか?出雲大社宮司(ぐうじ)家の千家(せんげ)家に伝わる「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」という絵図には、大きな輪の中に3つの小さな輪がかいてあります。これが柱をあらわしているのです。3本束ねた柱は直径が1丈(約3メートル)、正面の階段の長さは1町(約109メートル)と書いてあります。そんなに大きな神殿があったとは信じられない、と言う人もいましたが、絵図と同じ柱が本当に出てきたので、大きな神殿があった可能性の高いことが証明(しょうめい)されたのです。

今回発見された柱は、平安時代から鎌倉(かまくら)時代(今から約700年前)に建てられた本殿の柱で、そのころあった建物の中では、本当に日本で一番背の高い建物だったかもしれません。”
(フォトしまね2001年●145号「出雲大社遺跡」より)

出雲大社高さ

古事記の国譲りでは、アマテラスから派遣されたタケミカヅチに対して、オオクニヌシが、
”二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)へ隠れましょう。”
といいます。これが出雲大社とされているわけです。

これがこれまでは単なる7から8世紀ころのヤマト王権の史官の創作とされてきました。ところが、実際に巨大な宮跡が出てきたわけですから、大騒ぎになるのも当然ですね。


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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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