古事記・日本書紀のなかの史実Ⅱ (4) 国譲り④ アジスキタカヒコネ
アメノワカヒコが亡くなり、葬儀を行っていた時です。
【アメノワカヒコによく似ていた阿遅志貴高日子根(アジスキタカヒコネ)神が弔いに訪れた時、アメノワカヒコの父と妻が「我が子は死なないで生きていた」「私の夫は死なずに生きていた」と言ってアジスキタカヒコネに抱きついて泣き悲しんだ。このように誤ったのは、この二柱の神の容姿がよく似ていたからである。
するとアジスキタカヒコネは「親友だからこそ弔問に来た。どうして穢らわしい死人と比べるのか」と怒り、持っていた十掬剣(とつかのつるぎ)という剣を抜いて、喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山であるという。その持って切った太刀の名は、大量(おおはかり)といい、亦の名は神度剣(かむどのつるぎ)という。
アジスキタカヒコネが怒って飛び去るとき、妹のタカヒメは、兄の御名をあらわし知らしめようと思って、以下の歌を詠んだ。
『天上の若い織姫が首に掛けている玉飾り、その玉飾りの大きい玉のような方は、谷を二つも渡られたアジスキタカヒコネです』
この歌は、田舎風の歌曲である。】”
アジスキタカヒコネは、オオクニヌシの子で、シタテルヒメ(タカヒメ)の兄です。以前にもオオクニヌシの系譜のところで出てきました。雷神であり、また鴨氏の祖でもあります。また大御神という最高の敬語が用いられており、もともとは出雲の最高神であったと推察されます。
そのアジスキタカヒコネとアメノワカヒコが、見間違うほど似ていたということから、事件は始まります。
ではなぜ二神は、瓜二つだったのでしょうか?
単に話を面白くするためにこのような設定にしたのでしょうか?

アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは、同神だったとの説もあります。
”アメノワカヒコの死とアヂスキタカヒコネとしての復活であり、これは穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする。”(Wikipedia「アメノワカヒコ」より)
なんとも文学的な解釈ですが、なぜわざわざこのような複雑な話にする必要があるのか、よくわかりません。
一方、この話を何らかの史実を反映したものとしましょう。アメノワカヒコとアジスキタカヒコネが似ているということは、両神は近しい関係にあったことになります。つまり全くの異民族ではなく、同じ民族ではなかったのか、という推測です。
アジスキタカヒコネの母神はタキリヒメで、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた神です。つまりアジスキタカヒコネの出自は高天原であり、海人(天、あま)族です。
父方のオオクニヌシの系譜を見てみましょう。オオクニヌシには先に挙げた系譜の他にもう一つの系譜があります。

この系譜ですと、先に挙げた系譜と時代が合いません。こうしたことから、この系譜の中のフハノモヂクヌスヌからアメノフユキヌまでの4代は、オオクニヌシとスサノオをつなげるために挿入されたのではないか、という説を紹介しました。
詳細は
を参照ください。
この系譜をよく見てください。オオクニヌシの父神は天之冬衣(アメノフユキヌ)神、その祖母神は天之都度閇知泥(アメノツドヘチネ)神とあり、両神とも「天(アメ)」がつくことから、海人(天、あま)族すなわち高天原出自であることがわかります。つまりオオクニヌシもまた、高天原の系譜ということになります。
つまりアジスキタカヒコネは父方、母方とも海人(天、あま)族出自です。一方のアメノワカヒコも海人(天、あま)族ですから、容姿が瓜二つであってもおかしくありませんね。
さてアジスキタカヒコネは、自分が死人と比べられたのに怒り、喪屋を蹴飛ばします。飛んでいった先が、美濃国の喪山です。
美濃市大矢田の喪山天神社あるいは不破郡垂井町の喪山古墳などが候補地です。ここから、古代出雲の勢力は美濃あたりにまで及んでいたことがわかります。
最後に妹のタカヒメが歌を歌います。なんのためかというと、アジスキタカヒコネのことを誰も知らないので、名前を教えるためです。歌って讃えつつ名前を教えるとは、なんとも乙ですね。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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【アメノワカヒコによく似ていた阿遅志貴高日子根(アジスキタカヒコネ)神が弔いに訪れた時、アメノワカヒコの父と妻が「我が子は死なないで生きていた」「私の夫は死なずに生きていた」と言ってアジスキタカヒコネに抱きついて泣き悲しんだ。このように誤ったのは、この二柱の神の容姿がよく似ていたからである。
するとアジスキタカヒコネは「親友だからこそ弔問に来た。どうして穢らわしい死人と比べるのか」と怒り、持っていた十掬剣(とつかのつるぎ)という剣を抜いて、喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山であるという。その持って切った太刀の名は、大量(おおはかり)といい、亦の名は神度剣(かむどのつるぎ)という。
アジスキタカヒコネが怒って飛び去るとき、妹のタカヒメは、兄の御名をあらわし知らしめようと思って、以下の歌を詠んだ。
『天上の若い織姫が首に掛けている玉飾り、その玉飾りの大きい玉のような方は、谷を二つも渡られたアジスキタカヒコネです』
この歌は、田舎風の歌曲である。】”
アジスキタカヒコネは、オオクニヌシの子で、シタテルヒメ(タカヒメ)の兄です。以前にもオオクニヌシの系譜のところで出てきました。雷神であり、また鴨氏の祖でもあります。また大御神という最高の敬語が用いられており、もともとは出雲の最高神であったと推察されます。
そのアジスキタカヒコネとアメノワカヒコが、見間違うほど似ていたということから、事件は始まります。
ではなぜ二神は、瓜二つだったのでしょうか?
単に話を面白くするためにこのような設定にしたのでしょうか?

アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは、同神だったとの説もあります。
”アメノワカヒコの死とアヂスキタカヒコネとしての復活であり、これは穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする。”(Wikipedia「アメノワカヒコ」より)
なんとも文学的な解釈ですが、なぜわざわざこのような複雑な話にする必要があるのか、よくわかりません。
一方、この話を何らかの史実を反映したものとしましょう。アメノワカヒコとアジスキタカヒコネが似ているということは、両神は近しい関係にあったことになります。つまり全くの異民族ではなく、同じ民族ではなかったのか、という推測です。
アジスキタカヒコネの母神はタキリヒメで、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた神です。つまりアジスキタカヒコネの出自は高天原であり、海人(天、あま)族です。
父方のオオクニヌシの系譜を見てみましょう。オオクニヌシには先に挙げた系譜の他にもう一つの系譜があります。

この系譜ですと、先に挙げた系譜と時代が合いません。こうしたことから、この系譜の中のフハノモヂクヌスヌからアメノフユキヌまでの4代は、オオクニヌシとスサノオをつなげるために挿入されたのではないか、という説を紹介しました。
詳細は
を参照ください。
この系譜をよく見てください。オオクニヌシの父神は天之冬衣(アメノフユキヌ)神、その祖母神は天之都度閇知泥(アメノツドヘチネ)神とあり、両神とも「天(アメ)」がつくことから、海人(天、あま)族すなわち高天原出自であることがわかります。つまりオオクニヌシもまた、高天原の系譜ということになります。
つまりアジスキタカヒコネは父方、母方とも海人(天、あま)族出自です。一方のアメノワカヒコも海人(天、あま)族ですから、容姿が瓜二つであってもおかしくありませんね。
さてアジスキタカヒコネは、自分が死人と比べられたのに怒り、喪屋を蹴飛ばします。飛んでいった先が、美濃国の喪山です。
美濃市大矢田の喪山天神社あるいは不破郡垂井町の喪山古墳などが候補地です。ここから、古代出雲の勢力は美濃あたりにまで及んでいたことがわかります。
最後に妹のタカヒメが歌を歌います。なんのためかというと、アジスキタカヒコネのことを誰も知らないので、名前を教えるためです。歌って讃えつつ名前を教えるとは、なんとも乙ですね。
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