古事記・日本書紀のなかの史実Ⅱ (5) 国譲り⑤ 稲佐の浜
葦原中国にアメノオシホミミ、アメノホヒ、アメノワカヒコを遣わしましたが、すべて失敗に終わります。
【アマテラスが八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、オモヒカネと八百万の神々は「天の安河の河上の天の岩屋におられる伊都尾羽張(イツノオハバリ)神を遣わすのがよい。もしそうでなければその子の建御雷之男(タケミカヅチノオ)神を遣わすべきである。またその天尾羽張(アメノオハバリ)神は、河の水を塞ぎとめて、逆に上の方に水をたたえて、道路をふさいで行かれないようにしているので、他の神は行けないだろう。特別に天迦久(アメノカク)神を遣わして問うのがよいでしょう。」と仰せになった。
そこでアメノカクを遣わしてアメノオハバリに問うたときに答えていうには、「恐れ多いことでございます。お引き受けしましょう。けれども今度の仕事は、我が子タケミカヅチを遣わすべきでしょう。」と答えて、タケミカヅチをアマテラスに奉った。こうして天鳥船神(アメノトリフネ)をタケミカヅチに副えて遣わした。】
さてでは、次にどの神を遣わすかについて、またしてもオモヒカネを中心にして決定します。その神の名は、アメノオハバリ別名イツノオハバリです。
”天之尾羽張(アメノオハバリ)は、日本神話に登場する刀であり、また神の名前である。
『古事記』の神産みの段においてイザナギは、妻神たるイザナミの死因となったカグツチを、身に帯びた十拳剣をもって首を斬り、殺す。 古事記では、この十拳剣の名前を「天尾羽張」、別名を「伊都之尾羽張」と記す。日本書紀では「十握剣」のみと記して、固有名詞を与えていない。
一方、十拳剣からこぼれ落ちたカグツチの血からは火・雷・刀に関わる八神が生まれるが、その中に建御雷之男(タケミカヅチノオ、建布都/豊布都)神もあった。”(Wikipedia「天之尾羽張」より)
アメノカクは、鹿の神といわれます。鹿は古来から神のお使いと考えられており、春日大社の鹿は有名ですよね。アメノトリフネは、神産みの段でイザナギとイザナミの間に産まれた神で、神が乗る船の名前でもあります。鹿、鳥という動物がこうした場面に関係しているところが、古代の信仰を表しています。
【タケミカヅチとアメノトリフネは、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その剣の前にあぐらをかいて座り、オオクニヌシに「アマテラス、タカギの命により問いただしに私をお遣わしになったのだ。あなたが治める葦原中国は我が御子が治めるべきであると仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。
オオクニヌシは、「私ひとりでは答えることができない。自分の前に息子の八重事代主(ヤエコトシロヌシ)神に訊ねるのがよい。ただし鳥や魚を獲りに三保の埼に出かけており、まだ帰ってこない。」と仰せになった。ゆえにアメノトリフネを遣わして、コトシロヌシを連れて帰り問うたところ、父のオオクニヌシに言うには「恐れ多いことです。この国は天津神の御子に献上しましょう」と答えると、船を踏み傾けて、天の逆手を打って青柴垣(あおふしがき)に変えて、その中に隠れた。】

タケミカヅチとアメノトリフネが降り立った場所が、出雲の稲佐の浜です。私は、高天原とは対馬・壱岐を中心とした一定領域のことではないか、という仮説を立てているわけですが、その仮説とも照合します。なぜなら対馬・壱岐から日本海流に乗れば容易に出雲までたどり着き、稲佐の浜は上陸するのに適しているからです。

オオクニヌシの息子のコトシロヌシがいたところが、美保の埼です。この美保の埼は、出雲国風土記の国引き神話で、越の国から綱で引っ張ってきたことになっています。ちなみに綱を掛けた杭は伯耆国の火の山(現在の大山)とされ、綱はその後に弓ヶ浜になったとされています。
コトシロヌシは、天の逆手(逆拍手)を打って舟を青柴垣に変え、隠れてしまいます。逆拍手とは、
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【アマテラスが八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、オモヒカネと八百万の神々は「天の安河の河上の天の岩屋におられる伊都尾羽張(イツノオハバリ)神を遣わすのがよい。もしそうでなければその子の建御雷之男(タケミカヅチノオ)神を遣わすべきである。またその天尾羽張(アメノオハバリ)神は、河の水を塞ぎとめて、逆に上の方に水をたたえて、道路をふさいで行かれないようにしているので、他の神は行けないだろう。特別に天迦久(アメノカク)神を遣わして問うのがよいでしょう。」と仰せになった。
そこでアメノカクを遣わしてアメノオハバリに問うたときに答えていうには、「恐れ多いことでございます。お引き受けしましょう。けれども今度の仕事は、我が子タケミカヅチを遣わすべきでしょう。」と答えて、タケミカヅチをアマテラスに奉った。こうして天鳥船神(アメノトリフネ)をタケミカヅチに副えて遣わした。】
さてでは、次にどの神を遣わすかについて、またしてもオモヒカネを中心にして決定します。その神の名は、アメノオハバリ別名イツノオハバリです。
”天之尾羽張(アメノオハバリ)は、日本神話に登場する刀であり、また神の名前である。
『古事記』の神産みの段においてイザナギは、妻神たるイザナミの死因となったカグツチを、身に帯びた十拳剣をもって首を斬り、殺す。 古事記では、この十拳剣の名前を「天尾羽張」、別名を「伊都之尾羽張」と記す。日本書紀では「十握剣」のみと記して、固有名詞を与えていない。
一方、十拳剣からこぼれ落ちたカグツチの血からは火・雷・刀に関わる八神が生まれるが、その中に建御雷之男(タケミカヅチノオ、建布都/豊布都)神もあった。”(Wikipedia「天之尾羽張」より)
アメノカクは、鹿の神といわれます。鹿は古来から神のお使いと考えられており、春日大社の鹿は有名ですよね。アメノトリフネは、神産みの段でイザナギとイザナミの間に産まれた神で、神が乗る船の名前でもあります。鹿、鳥という動物がこうした場面に関係しているところが、古代の信仰を表しています。

オオクニヌシは、「私ひとりでは答えることができない。自分の前に息子の八重事代主(ヤエコトシロヌシ)神に訊ねるのがよい。ただし鳥や魚を獲りに三保の埼に出かけており、まだ帰ってこない。」と仰せになった。ゆえにアメノトリフネを遣わして、コトシロヌシを連れて帰り問うたところ、父のオオクニヌシに言うには「恐れ多いことです。この国は天津神の御子に献上しましょう」と答えると、船を踏み傾けて、天の逆手を打って青柴垣(あおふしがき)に変えて、その中に隠れた。】

タケミカヅチとアメノトリフネが降り立った場所が、出雲の稲佐の浜です。私は、高天原とは対馬・壱岐を中心とした一定領域のことではないか、という仮説を立てているわけですが、その仮説とも照合します。なぜなら対馬・壱岐から日本海流に乗れば容易に出雲までたどり着き、稲佐の浜は上陸するのに適しているからです。

オオクニヌシの息子のコトシロヌシがいたところが、美保の埼です。この美保の埼は、出雲国風土記の国引き神話で、越の国から綱で引っ張ってきたことになっています。ちなみに綱を掛けた杭は伯耆国の火の山(現在の大山)とされ、綱はその後に弓ヶ浜になったとされています。
コトシロヌシは、天の逆手(逆拍手)を打って舟を青柴垣に変え、隠れてしまいます。逆拍手とは、
”手の平を打ち合わす通常の拍手ではなく、手の平を外側に向け、手の甲を打ち合わせるようにして行う拍手などを意味する語。基本的に縁起の悪い所作とされる。
逆さまにすることや逆さまの形で行う動作には、呪い、不吉、死者に対する振る舞い、といった意味合いが込められる場合があり、平時は忌まれることが多い。”(実用日本語表現辞典「逆拍手」より)
呪術で舟を青柴垣に変えたということでしょう。青柴垣とは神の籠もる所ですから、そこに隠れた、つまり服従の意を示したということです。
呪術で舟を青柴垣に変えたということでしょう。青柴垣とは神の籠もる所ですから、そこに隠れた、つまり服従の意を示したということです。
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