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三国史記新羅本紀を読む その4 ~ 倭の五王の活躍を彷彿とさせる記事

倭国との戦いの記載が続きます。

【現代訳】
39.倭兵が来襲し、東辺を侵して明活城を包囲した。戦果をあげることなく退却した。<431年4月条>
40.倭人が南辺を侵し、生口を奪い取って去った。夏六月にもまた東辺を侵犯した。<440年6月条>
41.倭兵が、金城を包囲すること十日に及んだが、兵糧が尽きて、帰っていった。(訥祇)王は、軍隊を出して、これを追撃しようとした。(・・以下略・・)<444年4月条>
42.倭人が、兵船百余艘をもって東辺を襲い、進撃して月(げつ)城を包囲した。四方からの矢や石は、まるで雨のようであった。(・・以下略・・)<459年4月条>
43.倭人が、来襲して活開城を破り、一千人を捕えて去っていった。<462年5月条>
44.倭人が、歃良(そうりょう)城を侵したが、勝てないで去っていった。(慈悲)王は、伐智(ばつち)と徳智(とくち)とに命じて、軍隊を率い隠れて通り路で待ち伏せさせた。(伐智らの軍は)、待ち伏せして攻撃をしかけ、大いに倭人を破った。<463年2月条>
45.(慈悲)王は、倭人がしばしば国境を侵犯するため、外回りに二つの城を築かせた。<463年2月条>
46.倭人が、東辺を侵した。(慈悲)王は,将軍の徳智に命じて攻撃させ、これを破った。殺したり捕虜とした者は、二百余人であった。<476年6月条>
47.倭人が兵を挙げて、五道に来襲し、侵入してきた。ついに戦果を挙げることなく帰っていった。<477年5月条>
48.倭人が、辺境を侵した。<482年5月条>
49.倭人が、辺境を犯した。<486年4月条>
50.臨海と長嶺(ちょうれい)の二つの鎮台を設置し、倭賊に備えた。<493年7月条>
51.倭人が、辺境を犯した。<497年4月条>
52.倭人が、長峯鎮を攻め陥(おと)した。<500年4月条>

【解説】
倭国との戦いが続きます。この時代、倭国つまり日本では、どのような動きがあったのでしょうか?。
ちょうど、宋書倭国伝の倭の五王の時代に当たります。主な出来事としては、

<421年>
倭国王の讃(さん)が宋に朝貢、官職を授けられる。
<425年>
・倭国王の讃が上表文を奉り、朝貢する。
<438年>
讃の弟の珍(ちん)が朝貢、安東将軍・倭国王に任命される。
<443年>
・倭国王の済(せい)が朝貢、安東将軍・倭国王に任命される。
<451年>
・済に、使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事の官職が加えられる。
<462年>
・倭王の嗣子の興(こう)が、安東将軍・倭国王に任命される。
<478年>
・興の弟の武(ぶ)が、上表文を奉る。
使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任命される。
<479年> 
・倭王武、鎮東大将軍に進められる。(南梁書)
<502年>
・倭王武、征東将軍に進められる。(梁書)
です。

倭国王の武が、使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任命されたということは、倭国が朝鮮半島を攻略し、支配下に治めていったことの証でしょう。三国史記には、倭国の攻撃に対して新羅が防御に回り、劣勢であった記載が続いてますので、中国史書の記載とよく合っていることがわかります。
下の図は、当時の朝鮮半島から日本の国々です。秦韓・慕韓は、新羅・百済に併合され、消滅していました。
倭の五王時代の朝鮮半島~日本

一方、日本側の記録はどのようになっているのでしょうか?
古事記、日本書紀には、まったくと言っていいほど、記録がありません。唯一あるのは、日本書紀の雄略天皇の時代に、”大伴談連らを新羅に遣わし戦わせたが、大伴談連が戦死した記事”くらいでしょうか。あとは、大和朝廷内の権力闘争に明け暮れた記事と、一転してのどかな恋と歌の記事ばかりです。このことは、何を意味しているのでしょうか?。
「朝鮮遠征は国外の話だから、省略したのだ」との説明もされるでしょうが、あまりにも苦しまぎれの弁明ではないでしょうか?。
もし仮にそうだとしても、倭の五王が、苦労に苦労を重ねて中国からもらった称号です。普通であれば、誇らしげに記録に残すはずです。それがないのはなぜでしょうか?

答えは簡単です。朝鮮遠征したのは、大和朝廷ではないからです。そして、倭の五王も、大和朝廷の天皇ではないからです。そう解釈するよりほかに、合理的な説明はありません。

では、主役は・・・? ですが、このブログで何度もお話しているとおり、それは、九州北部を基盤としていた九州王朝ということになります。そして、倭の五王は、九州王朝の王ということになります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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