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三国志東夷伝序文から三国志東沃祖(とうよくそ)伝までのまとめ ~ 朝鮮半島での鉄をめぐる争い 

今回は、三国志魏志東夷伝から、「序文」、「穢伝」、「韓伝」、「東沃祖(とうよくそ)伝」のまとめです。

【三国志魏志東夷伝序文】
・中国国内は統一されたが、その外の国々の様子は、よくわからなかった。
・漢の時代に、西域に張騫(ちょうけん)を派遣して調査して、初めて都護を置いた(BC59年)ので、西域のことはよくわかるようになった。
・魏(220-265年)の時代には、西域は支配できなかったが、朝貢をしてこない年はなかった。
・遼東を支配していた公孫淵(こうそんえん)を誅殺し(238年)、楽浪郡、帯方郡を設置したところ、東夷は屈服した。
・高句麗を追い詰めて、粛慎(しゅくしん)の、東に大海を臨む地に至った。
・その土地の長老によると、「”異面(顔に入れ墨をした)の人=倭人”が、日の出るところの近くにいる」という。
・そこは秩序立った国であり、それぞれ国名があり、詳しく採録できた。
・中国で失われた禮を、四夷に求めたのには、理由があったのだ。
・よって、その異同を示して、これまでの正史で足りなかったところを、補うこととする。

【三国志魏志濊(わい)伝】
・朝鮮の東海岸にあるは、昔中国の殷(いん)の貴族箕子(きし)が朝鮮に行き建国した(BC12世紀)
・その後、秦末に人民が秦に背き(BC209年)、燕(えん)・斉(せい)・趙(ちょう)の人々数万人が、朝鮮に逃げた。
・燕出身の衛満(えいまん)が、王となった。(衛氏朝鮮、BC196年)
・漢の武帝が朝鮮半島を攻めて滅ぼした時(BC108年)、漢の領土として四つに郡を置いた。

【三国志魏志韓伝】
・韓は、南は倭と境を接している。
・朝鮮候の箕準(きじゅん)は、燕から亡命してきた衛満に国を攻めとられた(BC195年)
・箕準は、馬韓(ばかん)へ逃れ、韓王と名乗った。
・韓は、中国の漢代には楽浪郡に属した。
・2世紀後半、韓・濊が強盛になり、楽浪郡他の人々が、韓に流入した。
・建安年間(196-220年)には、公孫康(こうそんこう)が、楽浪郡の南を分割して、帯方郡を設置した。
公孫模(こうそんも)らを帯方郡に派遣して、韓・濊を征討させた。
倭も韓も、帯方郡に属するようになった。
・公孫淵(こうそんえん)に支配されていた帯方郡を、魏が奪いとった。
・最終的に、辰韓(しんかん)のうち、八国を分割し、楽浪郡に編入した。
・弁辰(べんしん)の国々は鉄を産出し、韓・濊・倭の人々はみなこの鉄を取っている。
・この鉄は、帯方郡・楽浪郡にも供給されている。
・弁辰の風習は倭人に近い。
・弁辰の瀆蘆(とくろ)国は、倭と隣り合っている。

【三国志魏志東沃祖(とうよくそ)伝】
・東沃祖は高句麗の蓋馬大山(がいまだいさん)の東の大海のほとりにある。
・北沃祖の年寄りが言うには、
「日本海の東にある島に人がいて、言葉が通じない。そこの習慣では、七月に少女を海に沈める」。
・「女だけの島がある。」
・「首筋の後ろ正面に別の顔のある者がいた。」

【解説】
「東夷伝序文」で、なぜ著者の陳寿が、東夷伝を書いたのか、その理由を記しています。簡単に言うと、「今まで中国の西の果てのことは記録があったが、東の果てのことは正確な記録がなく、詳しいことがわからなかった。この度詳細がわかったので、それを初めて記載するのだ。」と誇らしげに宣言しているというわけです。
そして、注目すべき点は、「中国で失われた禮を体現している国がある」として、倭国のことを、魏志の最後に多くの紙面を割いて、しかも最大限の称賛の表現をもって記載していることです。古田武彦氏は、「このことこそ、陳寿が力説したいことだった」と主張されていましたが、そういった一面もあるかもしれませんね。

続く「穢伝」「韓伝」では、中国の動乱により、朝鮮半島に人びとが流入してきた経緯が、描かれています。その中に、もともと揚子江下流域にいた倭人もいて、朝鮮半島南部、そして日本本土へとたどり着き、倭国を形成したのでしょう。

もうひとつ注目すべきは、「弁辰(べんしん)の国々は鉄を産出し、韓・濊・倭の人々はみなこの鉄を取っている。この鉄は、帯方郡・楽浪郡にも供給されている。」という記載です。当時、鉄は武器目的にとどまらず、貨幣同様の価値があったわけで、それを古田武彦氏は、"鉄本位制"と名付けました。そして、その産出される鉄を、"皆で仲良くニコニコ分けあっていた"などというおとぎ話のような話があったはずはなく、その鉄をめぐって激しい争いがあったはずです。つまり、朝鮮半島の覇権をめぐる争いは、鉄の確保をめぐる争いだったとも言えるわけです。そして、その鉄の確保のためのルートを、古田氏は、"アイアンロード"と名付けました。

アイアン・ロード 

アイアン・ロード


最後の東沃祖伝は、哀しい話が多いですね。これらの話は日本海を舞台にした話ですが、日本海を挟んで、さまざまな交流があったことを示しています。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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