邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは? (1) ・・・ 鉄
ブログ開始から、ひたすら日本神話や中国語・朝鮮史書など文書を追いかけながら、日本、日本人の歴史を、解き明かしてきました。ここ何回かにわたっては、古代史ファンにとり最大の関心事である邪馬台国の位置を、魏志倭人伝の行程をたどりながら、比定しました。
ところで、皆さんのなかには、「魏志倭人伝からは、邪馬台国が博多湾岸であることがわかったが、その物的証拠はあるのか?」との考えをもたれた方も多いと思います。そこで、ここから何回かにわたり、物的証拠、つまり、遺跡や出土物、などをみていきます。
まず、何を物的証拠とするか、ですが、邪馬台国をはじめとする古代王朝を象徴すると考えられるものがふさわしいでしょう。今回は、鉄、鏡、玉、絹、それに三種の神器などです。これらをひとつずつ見ていきましょう。
1.鉄
弥生時代の特徴と言えば、まず思い浮かぶのは、鉄でしょう。"弥生時代前までは、武器や祭祀具などをはじめとして青銅器を使用していたが、鉄が大陸からもたらされたことにより、社会に大きな変化が起きた"と社会の授業で習いましたよね。つまり、当時鉄の使用が多い地域ほど文明が発達し、社会を支配している力が大きかったことになります。
現在までに確認されている鉄の出土数を、種類別、都道府県別に、順位付けします。
魏志倭人伝には、「武器としては、矛、盾、 弓がある。上半分が長く、下半分が短く、鉄や骨の鏃を使う。」との記載があり、鉄の鏃(やじり)を使っていたことがわかります。その鉄の鏃ですが、福岡県から398個出土しており、熊本県339個、大分県241個と続きます。畿内では、4番目に京都府が入りますが、112個と大きな差があります。ちなみに奈良県は4個と、寂しい限りです。
また、同じく魏志倭人伝から、兵器として、矛を使用していたことがわかります。鉄の矛は、福岡県が7個、佐賀県、山口県の2個と続きます。奈良県は、ゼロです。
鉄刀は、福岡県が17個、次に鳥取県の16個が目立ち、佐賀県、長崎県、と続きます。
鉄剣は、福岡県が46個、次に京都府で44個、長崎県、兵庫県と続きます。
鉄刀、鉄剣、鉄矛、をすべて合計した個数でみても、福岡県が70個と、他県を圧倒して多く、次いで京都府48個、長崎県29個、佐賀県25個と続きます。奈良県は、わずかに鉄剣の1個のみです。
以上より、弥生時代の鉄の出土状況は、福岡県に集中しており、畿内では京都府の出土がやや多いものの、福岡県には遠く及ばず、奈良県にいたっては、惨憺たる状況であることがわかります。
注目点としては、鉄の鏃で、熊本県が2位に入っていることです。それだけ、戦闘能力が高かった地域と言えます。熊本県と言えば、阿蘇の記載が「隋書俀(たい)国伝」にも出てくるなど邪馬台国、九州王朝との関係も深いのて、興味深いデータです。
また、鉄刀、鉄剣、鉄矛をすべて合計した個数で、京都府が、福岡県に次いで2位に入っていることも注目です。鉄剣が多いせいではありますが、奈良県がゼロに等しいことを考えると、対照的です。これを素直に考えますと、"当時の畿内は、現在の京都府側が文明の先進地域であり、奈良県側は後進地域であった"と解釈せざるをえません。
邪馬台国が、畿内の奈良県飛鳥地方にあったとすると、"邪馬台国は文明の後進地域にあった"ということになり、「?」がつきますよね。また、当時の畿内勢力の状況を推測するヒントにもなります。
また、岡山県が、鉄の鏃で、京都府に次いで5位となっていることも注目です。岡山県と言えば、かつての吉備国です。桃太郎で有名ですが、古事記、日本書記のなかでも、神武天皇が九州から東征した際には吉備国に滞在した、との記載があり、邪馬台国との関係の深さが推測されるからです。
以上のとおり、出土物のデータひとつとっても、様々なことがわかり、とても興味深いですね。もちろん今後の発掘により、また違ったデータが出てくる可能性はありますが、それはそれとして、現時点でのデータを基に考えていくことは、科学的姿勢として、極めて大切なことだと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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ところで、皆さんのなかには、「魏志倭人伝からは、邪馬台国が博多湾岸であることがわかったが、その物的証拠はあるのか?」との考えをもたれた方も多いと思います。そこで、ここから何回かにわたり、物的証拠、つまり、遺跡や出土物、などをみていきます。
まず、何を物的証拠とするか、ですが、邪馬台国をはじめとする古代王朝を象徴すると考えられるものがふさわしいでしょう。今回は、鉄、鏡、玉、絹、それに三種の神器などです。これらをひとつずつ見ていきましょう。
1.鉄
弥生時代の特徴と言えば、まず思い浮かぶのは、鉄でしょう。"弥生時代前までは、武器や祭祀具などをはじめとして青銅器を使用していたが、鉄が大陸からもたらされたことにより、社会に大きな変化が起きた"と社会の授業で習いましたよね。つまり、当時鉄の使用が多い地域ほど文明が発達し、社会を支配している力が大きかったことになります。
現在までに確認されている鉄の出土数を、種類別、都道府県別に、順位付けします。
弥生時代の鉄出土状況表①(都府県別) | ||||
順位 | 鉄の鏃 | |||
都府県 | 個数 | |||
1 | 福岡 | 398 | ||
2 | 熊本 | 339 | ||
3 | 大分 | 241 | ||
4 | 京都 | 112 | ||
5 | 岡山 | 104 | ||
6 | 宮崎 | 100 | ||
7 | 山口 | 97 | ||
奈良 | 4 | |||
*「弥生時代鉄器総覧」(広島大学考古学研究室 川越哲志編、2002年2月刊行)による。 |
弥生時代の鉄出土状況表② (都府県別) | ||||||||
順位 | 弥生時代の鉄刀・鉄剣・鉄矛・鉄 | |||||||
鉄の刀 | 鉄剣 | 鉄矛 | 計 | |||||
都府県 | 個数 | 都府県 | 個数 | 都道県 | 個数 | 都府県 | 個数 | |
1 | 福岡 | 17 | 福岡 | 46 | 福岡県 | 7 | 福岡 | 70 |
2 | 鳥取 | 16 | 京都 | 44 | 佐賀・山口 | 2 | 京都 | 48 |
3 | 福井 | 6 | 長崎 | 23 | 長崎 | 29 | ||
4 | 佐賀 | 5 | 兵庫 | 21 | 長崎・長野 | 1 | 佐賀 | 25 |
5 | 長崎 | 5 | 佐賀 | 18 | 兵庫 | 23 | ||
6 | 京都 | 4 | 群馬 | 16 | 鳥取 | 18 | ||
7 | 山口・広島 | 3 | 千葉 | 14 | 群馬 | 16 | ||
奈良 | 0 | 奈良 | 1 | 奈良 | 0 | 奈良 | 1 | |
*「弥生時代鉄器総覧」(広島大学考古学研究室 川越哲志編、2002年2月刊行)による。 |
魏志倭人伝には、「武器としては、矛、盾、 弓がある。上半分が長く、下半分が短く、鉄や骨の鏃を使う。」との記載があり、鉄の鏃(やじり)を使っていたことがわかります。その鉄の鏃ですが、福岡県から398個出土しており、熊本県339個、大分県241個と続きます。畿内では、4番目に京都府が入りますが、112個と大きな差があります。ちなみに奈良県は4個と、寂しい限りです。
また、同じく魏志倭人伝から、兵器として、矛を使用していたことがわかります。鉄の矛は、福岡県が7個、佐賀県、山口県の2個と続きます。奈良県は、ゼロです。
鉄刀は、福岡県が17個、次に鳥取県の16個が目立ち、佐賀県、長崎県、と続きます。
鉄剣は、福岡県が46個、次に京都府で44個、長崎県、兵庫県と続きます。
鉄刀、鉄剣、鉄矛、をすべて合計した個数でみても、福岡県が70個と、他県を圧倒して多く、次いで京都府48個、長崎県29個、佐賀県25個と続きます。奈良県は、わずかに鉄剣の1個のみです。
以上より、弥生時代の鉄の出土状況は、福岡県に集中しており、畿内では京都府の出土がやや多いものの、福岡県には遠く及ばず、奈良県にいたっては、惨憺たる状況であることがわかります。
注目点としては、鉄の鏃で、熊本県が2位に入っていることです。それだけ、戦闘能力が高かった地域と言えます。熊本県と言えば、阿蘇の記載が「隋書俀(たい)国伝」にも出てくるなど邪馬台国、九州王朝との関係も深いのて、興味深いデータです。
また、鉄刀、鉄剣、鉄矛をすべて合計した個数で、京都府が、福岡県に次いで2位に入っていることも注目です。鉄剣が多いせいではありますが、奈良県がゼロに等しいことを考えると、対照的です。これを素直に考えますと、"当時の畿内は、現在の京都府側が文明の先進地域であり、奈良県側は後進地域であった"と解釈せざるをえません。
邪馬台国が、畿内の奈良県飛鳥地方にあったとすると、"邪馬台国は文明の後進地域にあった"ということになり、「?」がつきますよね。また、当時の畿内勢力の状況を推測するヒントにもなります。
また、岡山県が、鉄の鏃で、京都府に次いで5位となっていることも注目です。岡山県と言えば、かつての吉備国です。桃太郎で有名ですが、古事記、日本書記のなかでも、神武天皇が九州から東征した際には吉備国に滞在した、との記載があり、邪馬台国との関係の深さが推測されるからです。
以上のとおり、出土物のデータひとつとっても、様々なことがわかり、とても興味深いですね。もちろん今後の発掘により、また違ったデータが出てくる可能性はありますが、それはそれとして、現時点でのデータを基に考えていくことは、科学的姿勢として、極めて大切なことだと思います。
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