邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは? (2)~ 鏡
次に、邪馬台国と言えば、鏡を思い浮かべる方も、多いと思います。卑弥呼が魏の皇帝からもらった、いわゆる「卑弥呼の鏡」です。「卑弥呼の鏡」については、昨今のマスコミ報道では、あたかも三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)のことのように言われています。
三角縁神獣鏡とは、その名の通り、縁部の断面形状が三角形になっており、鏡背に神獣(神像と霊獣)が描かれている鏡です。畿内地方に数多く出土することから、邪馬台国畿内説の大きな根拠とされています。しかしながら、日本各地で500枚近く出土しており、卑弥呼がもらったとされる100枚の鏡とは言い難いこと、肝心の中国本土では出土していないことから、日本で作られた鏡である可能性が高いと考えられます。
(先般、中国で発見されたとの報道もありましたが、多くの学者から、疑問の声が上がってます。)
このあたりの詳細は、いずれお話しする機会があればと思います。
さて、卑弥呼の鏡としては、古田氏は、「漢式鏡」としています。中国の漢代に作られた鏡を「漢鏡」と総称しますが、日本の墳墓から出土した鏡のうち、それと同じ形式をもったものを「漢式鏡」と呼びます。中国製と日本製があり、日本製を特に「仿製(ぼうせい)鏡」と呼びます。「卑弥呼の鏡」は、当然のことながら中国製ですから、「仿製鏡」は「卑弥呼の鏡」とはなりえません。
一方、古田氏と同じく邪馬台国北九州説を唱えている安本美典氏( 元産能大学教授 )は、「卑弥呼の鏡」を「魏晋鏡」としています。「魏晋鏡」とは、「漢式鏡」のうち、特に、魏・晋時代に作られた鏡とされています。
そして、「卑弥呼の鏡」を、魏や晋の時代に中国北方で入手できた「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」や「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」であろうとしています。
内行花文鏡とは、
"中国漢代の鏡のうちで代表的なものの一つ。この名称は日本でつけられたもので,中国では連弧文鏡という。鏡背面の内区主文様として8個の弧形をめぐらした,いわゆる内行花文帯があることからこう呼ばれる。”
位至三公鏡とは、
"主文が竜鳳双頭文系統で鈕の上下に〈位至〉〈三公〉,ときには〈君宜〉〈高官〉の銘文をいれたもので、後漢末より六朝前半に,中国北部で使用された。"
(ブリタニカ国際大百科辞典より)
平原遺跡(福岡県糸島市)出土の内行花文鏡です。
直径46.5cmと、国内出土の銅鏡で最大です。仿製(国内で生産されたもの)です。漢代の寸法で二尺となり、円周が「八咫(やた)」となります。このことから、伊勢神宮御神体の「八咫鏡」と同型であるとの説もあります。
漢鏡も、必ずしも漢代に作られた鏡だけでなく、その後の三国(魏・呉・蜀)・六朝時代に作られた鏡を含めることもあります。したがって、古田氏と安本氏の定義は、似ていると言えなくもありませんが、ここでは、両氏による資料を、それぞれ紹介します。
また、邪馬台国時代の10種の魏晋鏡ですが、福岡県が20個でトップ、2位が佐賀県で4個、3位が長崎県、兵庫県で2個です。
以上のとおり、どちらにおいても、トップは福岡県、2位に佐賀県が続き、奈良県は、ひとつも出土していないことがわかります。また、同じ福岡県のなかでも、漢式鏡が博多湾岸に集中していることは、注目点です。
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三角縁神獣鏡とは、その名の通り、縁部の断面形状が三角形になっており、鏡背に神獣(神像と霊獣)が描かれている鏡です。畿内地方に数多く出土することから、邪馬台国畿内説の大きな根拠とされています。しかしながら、日本各地で500枚近く出土しており、卑弥呼がもらったとされる100枚の鏡とは言い難いこと、肝心の中国本土では出土していないことから、日本で作られた鏡である可能性が高いと考えられます。
(先般、中国で発見されたとの報道もありましたが、多くの学者から、疑問の声が上がってます。)
このあたりの詳細は、いずれお話しする機会があればと思います。
さて、卑弥呼の鏡としては、古田氏は、「漢式鏡」としています。中国の漢代に作られた鏡を「漢鏡」と総称しますが、日本の墳墓から出土した鏡のうち、それと同じ形式をもったものを「漢式鏡」と呼びます。中国製と日本製があり、日本製を特に「仿製(ぼうせい)鏡」と呼びます。「卑弥呼の鏡」は、当然のことながら中国製ですから、「仿製鏡」は「卑弥呼の鏡」とはなりえません。
一方、古田氏と同じく邪馬台国北九州説を唱えている安本美典氏( 元産能大学教授 )は、「卑弥呼の鏡」を「魏晋鏡」としています。「魏晋鏡」とは、「漢式鏡」のうち、特に、魏・晋時代に作られた鏡とされています。
そして、「卑弥呼の鏡」を、魏や晋の時代に中国北方で入手できた「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」や「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」であろうとしています。
内行花文鏡とは、
"中国漢代の鏡のうちで代表的なものの一つ。この名称は日本でつけられたもので,中国では連弧文鏡という。鏡背面の内区主文様として8個の弧形をめぐらした,いわゆる内行花文帯があることからこう呼ばれる。”
位至三公鏡とは、
"主文が竜鳳双頭文系統で鈕の上下に〈位至〉〈三公〉,ときには〈君宜〉〈高官〉の銘文をいれたもので、後漢末より六朝前半に,中国北部で使用された。"
(ブリタニカ国際大百科辞典より)
平原遺跡(福岡県糸島市)出土の内行花文鏡です。

直径46.5cmと、国内出土の銅鏡で最大です。仿製(国内で生産されたもの)です。漢代の寸法で二尺となり、円周が「八咫(やた)」となります。このことから、伊勢神宮御神体の「八咫鏡」と同型であるとの説もあります。
漢鏡も、必ずしも漢代に作られた鏡だけでなく、その後の三国(魏・呉・蜀)・六朝時代に作られた鏡を含めることもあります。したがって、古田氏と安本氏の定義は、似ていると言えなくもありませんが、ここでは、両氏による資料を、それぞれ紹介します。
順位 | 10種の魏晋鏡 (邪馬台国時代) | 漢式鏡 | |||
都道府県 | 個数 | 都道府県 | 個数 | ||
1 | 福岡 | 20 | 福岡 | 149 | 筑前中域129・ 東域16・ 筑後4 |
2 | 佐賀 | 4 | 佐賀 | 11 | |
3 | 長崎・兵庫 | 2 | 兵庫 | 2 | |
4 | 大分・山口・ 鹿児島・ 鳥取・石川・ 大阪・京都 | 1 | 岡山・ 山口・ 岐阜 | 1 | |
奈良 | 0 | 奈良 | 0 |
まず、弥生時代の漢式鏡ですが、福岡県が149個で断然トップ、2位は佐賀県で11個、あとは兵庫県2個、岡山県、佐賀県で1個です。福岡県のなかでも、筑前中域つまり博多湾近辺が129個で8割を超え、筑前
東域が16個、筑後は4個に過ぎません。ようするに、博多湾岸に集中しているということです。
また、邪馬台国時代の10種の魏晋鏡ですが、福岡県が20個でトップ、2位が佐賀県で4個、3位が長崎県、兵庫県で2個です。
以上のとおり、どちらにおいても、トップは福岡県、2位に佐賀県が続き、奈良県は、ひとつも出土していないことがわかります。また、同じ福岡県のなかでも、漢式鏡が博多湾岸に集中していることは、注目点です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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