邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは(3)?~勾玉(まがたま)
邪馬台国位置比定の考古学的根拠として、鉄、鏡の出土地域を、取り上げました。
今回は、勾玉(まがたま)です。勾玉と言えば、剣、鏡とともに、三種の神器のひとつですね。当時としては、たいへん貴重なものでしたから、勾玉が出土する場所は、権力者がいたところと言えるでしょう。
魏志倭人伝には、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した品のなかに、「孔青大句珠二枚」とあります。句は勾のことです、勾玉は、倭国の特産品であり、邪馬台国とも関係が深い品物ということがわかります。
では、その出土状況をみてみます。
ガラス製勾玉は、福岡県が18個で1位、他は佐賀県から、わずかに1個しか出土していません。
硬玉製勾玉は、佐賀県が6個で、福岡県が4個、あとは島根県、長野県から1個だけです。
なお、奈良県は、両方ともゼロです。
勾玉は、日本においても、縄文時代から、特に女性の装身具として、存在していました。ただし、動物の牙を加工した、牙玉が中心だったようです。
注目すべきは、ガラスの勾玉の鋳型です。近畿地方からも出土していますが、それより古い鋳型が、福岡県から出土しています。ここから、当時の倭国は、ガラスの勾玉を作る技術をもっており、そのレベルは、魏の皇帝に献上できるほど高いものであった、ということがわかります。
福岡県糸島市の平原遺跡1号墳墓からは、ガラス製の大勾玉(約3cm)が、3個出土しています。鮮やかな青緑色をしており、まさに王を飾る装身具にふさわしいですね。これなどは、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した「孔青大句珠二枚」と同様の品と言えるかもしれません。
<平原遺跡出土勾玉>
ちなみに、この墳墓には、前回お話した大型内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が埋葬されていたほか、管玉、耳飾りなどが副葬品として埋葬されており、武器類が少ないことから、女性が埋葬されていたと考えられてます。さぞかし華やかな女性だったのではないでしょうか?。
遺跡発掘者の原田大六氏は、神話に出てくる「玉依(たまより)姫」の墓ではないかとの説を唱えました。想像力をかきたてられますね。
日本書記によれば、玉依姫とは、綿津見大神(海神)の娘で、豊玉(とよたま)姫の妹です。姉の豊玉姫が、ホオリ(山幸彦 、やまさちひこ)との間にもうけたウガヤフキアエズを養育し、やがてその妻となり、4人の男の子を産みます。その4番目の子が、若御毛沼命(わかみけぬ、のちの神武天皇)です。
神話と遺跡が合致するとなると、とてもロマンあふれる話になります。ただし、時代が合わないのでは、と思えます。むしろ、卑弥呼の時代に近いのですが、真実は、今のところ、?です。
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今回は、勾玉(まがたま)です。勾玉と言えば、剣、鏡とともに、三種の神器のひとつですね。当時としては、たいへん貴重なものでしたから、勾玉が出土する場所は、権力者がいたところと言えるでしょう。
魏志倭人伝には、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した品のなかに、「孔青大句珠二枚」とあります。句は勾のことです、勾玉は、倭国の特産品であり、邪馬台国とも関係が深い品物ということがわかります。
では、その出土状況をみてみます。
<弥生時代勾玉都府県別出土数> | ||||
順 位 | 硬玉製勾玉 | ガラス製勾玉 | ||
都府県 | 個数 | 都府県 | 個数 | |
1 | 佐賀 | 6 | 福岡 | 18 |
2 | 福岡 | 4 | 佐賀 | 1 |
3 | 島根・長野 | 1 | ||
(水野祐著「評釈魏志倭人伝」より) |
ガラス製勾玉は、福岡県が18個で1位、他は佐賀県から、わずかに1個しか出土していません。
硬玉製勾玉は、佐賀県が6個で、福岡県が4個、あとは島根県、長野県から1個だけです。
なお、奈良県は、両方ともゼロです。
勾玉は、日本においても、縄文時代から、特に女性の装身具として、存在していました。ただし、動物の牙を加工した、牙玉が中心だったようです。
注目すべきは、ガラスの勾玉の鋳型です。近畿地方からも出土していますが、それより古い鋳型が、福岡県から出土しています。ここから、当時の倭国は、ガラスの勾玉を作る技術をもっており、そのレベルは、魏の皇帝に献上できるほど高いものであった、ということがわかります。
福岡県糸島市の平原遺跡1号墳墓からは、ガラス製の大勾玉(約3cm)が、3個出土しています。鮮やかな青緑色をしており、まさに王を飾る装身具にふさわしいですね。これなどは、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した「孔青大句珠二枚」と同様の品と言えるかもしれません。
<平原遺跡出土勾玉>

ちなみに、この墳墓には、前回お話した大型内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が埋葬されていたほか、管玉、耳飾りなどが副葬品として埋葬されており、武器類が少ないことから、女性が埋葬されていたと考えられてます。さぞかし華やかな女性だったのではないでしょうか?。
遺跡発掘者の原田大六氏は、神話に出てくる「玉依(たまより)姫」の墓ではないかとの説を唱えました。想像力をかきたてられますね。
日本書記によれば、玉依姫とは、綿津見大神(海神)の娘で、豊玉(とよたま)姫の妹です。姉の豊玉姫が、ホオリ(山幸彦 、やまさちひこ)との間にもうけたウガヤフキアエズを養育し、やがてその妻となり、4人の男の子を産みます。その4番目の子が、若御毛沼命(わかみけぬ、のちの神武天皇)です。
神話と遺跡が合致するとなると、とてもロマンあふれる話になります。ただし、時代が合わないのでは、と思えます。むしろ、卑弥呼の時代に近いのですが、真実は、今のところ、?です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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